言わないけれども思っていること
私が社会に出て最初に抱いた印象は、とにかく「思っているけれども本当のことは言わない」「遠回しに言うことが大事」ということでした。率直に思ったことを言ってしまうと角が立つので、やんわりと自然に察することを促すように言葉を置いておくイメージで相手には伝えるのだということを学びました。けれども面白いことに夜飲んでみると驚くほど率直な言い回しで人を評価したりしています。みんないろいろ思ってはいるのだけれども、作法としてそれは直接言わないということなんだなと理解しました。
競技の世界で特にトップに近づいてからは、とてもわかりやすい世界でした。勝てば良くて、負ければダメという世界です。努力することも皆当たり前になっていますから、そうなるとあとは努力の精度を高めるしかありません。精度は適切な戦略と適切なトレーニングで決まります。自分にとって適切な戦略と適切なトレーニングは何かというと、正確な自分の姿を知ることから始まります。
例えば私は基本的に大きな勝負にチップをはりたいタイプで、ずっと同じレベルを維持することが苦手でした。こういう選手は戦略もある試合を狙い撃ちにし、トレーニングにも抑揚をつけた方がうまくいきます。反対にルーティーン化すると力がでません。このように自分の癖を把握した上でないと適切な戦い方は選べません。
自分を知るということは大切なのですが、ここが難しいのです。人にはこうでありたいと願う自分の姿やバイアスがありますから、外から見えている姿と自分で認識する姿がずれています。どちらが正しいのかというと、ほとんどの場合は外から見えている姿の方が現実に近いです。正確に言えば外から見えている姿を前提に戦略を描いた方が上手くいく確率が高いです。なぜならばアウトプットは結局外から見えている姿だからです。
自分で自分を理解できないならどうやって自分を把握したらいいんだとなりますが、そのギャップは周囲のフィードバックで埋めることになります。周囲からの率直なフィードバックです。ご想像の通りこのフィードバックはハードになります。なぜならば自分の知らない自分の姿を指摘されるので、一番言われたくないことを言われることもあるからです。
人間にはプライドというものがあります。プライドがあると人の指摘は受け入れ難く、自分では薄々気づいていることほど受け入れ難いです。ですから、本人が気づいていない(正確にはうっすらと気づいている)ことを気づかせるのは多くの場合怒りや苛立ちを引き出します。嫌がってそっぽを向いたり、人には踏み込ませないようにしてバリアを張る選手もたくさんいました。
私たちの世界では競争が激しいですから、プライドが邪魔したりして自分が思っている自分と周囲から見えている自分がずれている選手は、戦略もトレーニングもずれていくので自然と淘汰されていきます。負けてグラウンドからいなくなり、等身大の自分を把握し続けている選手だけが生き残ります。選手は皆生き残りたいですから、そうなると仕組みとして等身大の自分を把握するために率直なフィードバックが残っていきます。
私はかなり競技者としてのバイアスがかかっているという前提でお話ししますが、「思っているけれども本当のことは言わない」文化の組織は、自分を知る機会を失う人が結果的に増えるので、個人としても組織としても勝率が下がっているような印象を持ちます。
引退して参考になった言葉の一つは
「あなた経営のこと何にもわかってないんだからわかったふりして話すのはやめなさい。」
ということでした。このような率直なフィードバックがなければ私は今もずれた認識で生きていたと思います。
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