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先生が経営するスポーツ組織が立ち行かなくなるのはなぜか

スポーツの協会の多くは歴史的に教育の一環として発展してきたので、教育関係者、具体的には学校の先生によって運営されているところが少なくありません。ほぼ無償で土日にも活動するという先生たちの大変な労力に支えられてスポーツは成り立ってきました。

しかし時代の変化により教員の労働環境の改善が求められている中、協会運営またそのサポート業務はかなり教員の負担になっています。また一方で、スポーツの協会自体も変化を迫られています。スポーツの組織運営をより良くし、一部の人への負担を軽減するためにもまずは問題点の洗い出しということで、先生が運営する際に陥りがちな点を整理してみたいと思います。

1、ビジネスは後ろめたいことだという意識がある

先生の一部には、「お金のために働くのは後ろめたいことだ」「稼ぐのは良くないことだ」と感じている人もいます。これが組織の発展を阻害したり、または歪めてしまっているように思います。

どんな組織でも継続的に運営する為には売り上げをたて、収支をきちんと合わせる必要があります。スポーツ団体では収支が合っていなくて実質赤字になっているところが多くあります。その赤字は行政からの補助金でカバーされているのですが、その補助金は厳しくなっていく財政状況の中で縮小されていきます。もちろん公的な役割を担ってもいますから補助金はゼロにはならないと思いますが、それでも一定程度きちんと稼いでいかないと組織を継続し続けること自体が難しくなります。

例えば人々を健康にすることを目的とした会社があるとします。健康には運動して適切な食事をしてしっかり睡眠を取ることがいいのは分かりきっています。一方、これらを万人に提供するサービスはことごとく失敗します(一部の意識が高い人は別で)。なぜならば人はできるだけ楽したいし、嫌なことはやりたくないからです。だから、マーケティングの力や、楽しい感じや、時には生々しい欲望(モテたいなど)を使って、きちんと対価をもらいつつ人に運動してもらおうとします。市場では無理矢理顧客に商品を買わせることができない為に、顧客に欲しいと思ってもらって買うという意思決定をしてもらわなければならないからです。市場ではいくら正しいことをやろうとしても、このように個人の欲望と、目指す社会とのバランスをとりながらうまくやっていくことが求められます。

一方で、先生の世界は仕組みがきっちりできています。「先生は給与をもらい、子供に教える」ことをやっています。しかし、このプロセスに受益者(子供)が意思決定するプロセス(購入する)がありません。そんなことをしたら私のようなダメ学生は厳しい先生より、楽させてくれる先生を選んでしまうでしょう。教育は長期的には感謝されても、短期的には嫌がられることもある厄介な仕事です。学校では、顧客が今望むものより、理想を提供することに主眼が置かれます。

この世界から見ると、顧客の短期的な欲望に寄り添っている市場は清濁を併せ呑んでいるように見え、「稼ぐことは良くないことだ」と感じるのだと思います。行政からの予算の方が市場から稼ぐことよりも綺麗なことだと思っていることすらあります。しかし、行政の予算も縮小していき、きちんと市場に評価されるようにならなければ組織の存続すら危ぶまれる中、「稼ぐことへの抵抗感」があり「稼ぐ能力」がない組織は継続が難しくなってきています。純粋は美しいですが、なくなって仕舞えば元も子もありません。

まとめますと「市場と向き合って稼ぐ意識を持てない」ことが運営をうまくできない理由の一つではないかと思います。

2、人が動くことを費用に入れない

企業であれば人件費は一番大きな費用です。ですからどのようなプロジェクトを行う際にも人件費を入れて、きちんと収支を見ます。民間でもそうですが自分たちの給与が固定で支払われていてそれに慣れてくると、次第に自分自身が費用の一部であるということを忘れがちなります。一見儲かっているようなものも肝心の担当者の人件費を入れてみると全く儲かっていなかったということも少なくありません。ですから、企業では「人が動けばお金がかかる」ということをとにかく叩き込まれます。

一方で、教育機関では売り上げというものがそもそもない上に、利益を追求するわけでもないので、人が動くとお金がかかるということが忘れられがちです。そうすると、例えば事務作業などを外注した場合と自分たちでやった場合で、どちらがよりコストがかからず成果が出るかと考える時に、自分たちでやればお金がかからないという間違えた発想になってしまいます。実際には外注するより高いかもしれない教員の人件費がかかっているのですが、人件費を計算に入れない為にそれが見えないわけです。

この感覚でいくと悪気もなく当たり前のように、人が動く費用は計上しないものだという前提が出来上がっていきます。これが、スポーツ協会の多くがボランティアを前提としている理由ではないかと思います。好きだから、子供達のためにと無償の行動することは素晴らしいですが、全ての前提になるとやはりあまりにも関わる人への負担が大きくなりすぎます。

人が少なくなり、予算も減ってきて、無理が効かなくなって、いざ蓋を開けて人件費を計算に入れてみるとを大変な赤字だったということになるわけです。歪んだ数字(人件費が正確に計上されていない)をもとに判断しますから、判断もまた間違える可能性があります。まとめると「人が動くのは無料」という思い込みが運営がうまくできない理由の一つではないかと思います。

3、テクノロジーに抵抗がある

これは先生の問題ではないですが、学校というところではテクノロジーの導入がなぜか遅れているので、そこで主に働く先生たちはテクノロジーを活用するスキルと発想が欠如しがちになっています。おそらく幅広い生徒や家庭と向き合う中で、デジタルによりすぎると取りこぼす家庭があるなどの理由ではないかと思います。文化的なものも少なからず影響しているかもしれません。

テクノロジーに疎ければ、例えば紙で連絡したりFAXや郵送という手段に対して、抵抗感がなくなります。アナログに慣れてしまって、そのことが不便であるということにも気づきにくくなります。また、先に述べた人が動いた費用を計算に入れない問題と重なって、テクノロジーの導入費用を人間の努力で補えば表面上はコストがかからないように見えて、つい自動化できるところを自力でやってしまいがちです。実際には人の手がかかっているのでとても高コストなのですが。

また外部に仕事を依頼する際にもテクノロジーの知見がないので、具体的な要件定義ができなかったり、その金額が適切なのかを判断できないということがおきます。地方の協会は兼任の方が多く、専任でも任期がきまっていることもあり、どうしても短期で考えがちになります。デジタルにシフトできれば非常に楽なのですが慣れるまでは負荷がかかるので、旧来のやり方を続けることになりがちです。

まとめると「技術を使って楽をする発想がない」ことが運営を難しくしているように思います。

まとめ

とはいえ、スポーツの協会がバンバン儲かって優秀な人に真っ当な対価を支払えるようになるとは思えません。ですが、それなりに健全な姿に持っていくことは可能ではないかと思います。その際に大切なことは、やはり経営上の当たり前のことを徹底することで、スポーツ界には今それが求められているのではないかと思います。

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