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自己責任論と社会責任論

世の中には様々な意見がありますが、その背景には個人と社会の関係の捉え方が影響していると感じます。大きく二つに分けると、「今この人生を生きているのは自分のおかげだし、自分のせい」か「今この人生を生きているのは社会のおかげだし、社会のせい」か、です。つまり自己責任か、社会責任かの違いになります。

当然、グラデーションになっています。自己責任の考え方の人も、社会の責任を認めていますし、社会責任の考え方の人も社会の条件が揃えば自己責任の考えを持っていたりします。文化圏でも違います。ある殺人を犯した青年が幼少期に大変な虐待を受け厳しい環境で育っていたとして、罪の重さをどの程度軽減するかを調べたことがあります。西洋国は罪を軽くせず、東アジア圏は罪を軽くする傾向にあるそうです。その人がそうならざるを得なかった社会の影響をどの程度大きく見積もるか、です。

自己責任の立場をとる人は、自ら厳しい環境にいながら自分の努力で這い上がった人や、またはエリートが多い印象です。私も元アスリートですから、自己責任のバイアスがかかっていると思います。こういった人は人生は自分の意志と努力で決まると信じています。社会の捉え方も自由と自己責任を前提とします。罪もその人個人の責任として捉え、成功も失敗も個人に帰属すると考えます。

自己責任が行き過ぎた世界では、格差が広がります。現在の米国の経済格差はまさに自己責任の結果だと思います。一方、優れた人にとっては自己責任の社会は楽園です。何しろ自分の能力を発揮し尽くしてよく、それを制限もされず、歓迎される空気すらあるからです。米国に世界の優れた才能が集まる理由の一つだと思います。一方このような自己責任の立場の人を、社会責任の立場に立つ人は

「良い環境にいたエリートだから言えることだ」
「本当に厳しい立場の人への想像力を欠いている」
「自己の能力を過信している」

と批判します。マイケル・サンデルさんの「実力も運のうち」も昨今のメリトクラシー(能力主義)に批判的な立場をとっています。

社会責任の立場をとる人は、社会課題や貧困の現場に向き合ったり、自分自身の人生で大変な思いをしている人が多い印象です。特に子供は抵抗する力を持ちませんから、子供が置かれている環境の大きな違いを見ている人は社会責任についての考え方を強くします。個人には責任と想像力が必要で、個人の罪や成功であっても社会の責任が一定あると考えます。

社会責任が行き過ぎた世界では、甘えと諦めが広がります。要するに個人の能力を信じないということなので、自分は弱く力がないと考える傾向が強まります。一方、基本良いことも悪いことも社会で分かち合うという考え方なので多くの人の心は安らぎ社会の格差も広がりにくいです。成功も社会が引き受け、罪も社会で一定引き受けるからです。このような社会責任の立場の人に対し自己責任の立場の人は

「甘えている」
「どんなに厳しい環境でも努力して生きている人がいる」
「社会責任の考え方で社会を作ると個人を弱くする」

と批判します。基本的に米国と中国という二大大国の根底にあるのは、自己責任だと感じます。新自由主義やグローバル経済を批判する人はこの社会責任の立場をとることが多いです。

日本には特徴があります。ある決められた人生の型がありそれに従っている間に起きた出来事には社会責任の考えが適用されるという特徴です。つまり、様々なサポートがありカバーしてもらえる。一方、その型を外れた途端急に自己責任の考えが強くなります。みんなと同じ人生を生きている間は社会責任で、人と違う人生を生きたら自己責任という分け方です。
その型が時代の変化により成立しなくなり、急に国家も社会も、人それぞれ違う人生を生きてくださいと言い出して混乱しているのが現在ではないでしょうか。他方、社会の仕組みもいまだに型を前提としているので、それを自由型に変更しようとして各所が頑張っていると私からは見えます。

自己責任論と社会責任の考え方も、どこに適用させるかは相当に違います。例えば自己責任論を生活保護などに向けることはとても危険ですが、一方で子供の教育を社会責任で捉えすぎると自立の機会が失われます。日本の教育は、基本的に社会責任を前提としていると私は感じていて、だからこそ子供にリスクを取らせたりその結果責任を取らせるようなことをさせないのだと思います。個人に選ばせて責任を取らせないことには自己責任の練習はできません。

社会責任が強くなり意思決定も社会に委ねていくと、最終的に無責任の極地であるアイヒマン的な考え方が生まれます。意志を持たなければ責任を取らなくてもいい。自動運転が起こした事故の責任は設計者の責任ですと言うようなものです。一方、自己責任が強くなり過ぎた国では分断が起き同じ船に乗っているという一体感すら失われているように感じます。

日本は、自己責任を強めつつ、社会責任の範囲をもっと広げて多様な生き方に適用するといいのだと思います。


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