競争相手の立場になってみること
戦略や戦術を考える際、競争相手の内在的論理を理解することは極めて重要です。内在的論理の内訳は、相手がどんな現実の捉え方をしていて、何を重視しているかを理解する必要があるということです。この相手の内在的論理を知る上で三つの障壁があります。それは正義感(自分の価値観)と希望(楽観主義)と言霊主義です。
そもそも正義感がなければ何を良いこととするかが定義できないので、正義感があることは大切だと思います。問題は正義感の出し入れを自由に行えなくなることです。例えば戦時中日本では、米国は敵国だからと英語を使わないということが行われました。敵国の言葉だからという理由です。逆に米国は日本を徹底的に分析しました。先の論理から言えば、相手の言葉こそ研究しそのような言語を扱う人間の心理構造はどうなっているのかを理解した方が勝率は高まります。
ところが正義が先に立つ人はこれができません。つまり「まず競争相手の身になってみましょう」という意見に対し、「それは相手に共感するといことか」とか、「相手側の気持ちなんて理解したくない」となって仕舞えば、いつまで経っても相手の論理がわからず、対策の立てようもなくなります。正義感が先に立つ人は現実の相手ではなく自分が想像で作った相手の姿と戦う人でもあります
もう一つは希望です。言い換えると性善説です。きっと人間同士は分かり合えるはずだ。こういう時は「心ある普通の人間ならこんな判断をするはずだ」と考えてしまうということです。実際には相手がどのような行動に出るかは相手の内在的論理を理解しないと理解できませんし、こちらの願望通り動いてくれるとは限りません。希望を持つ人は「自分自身が考えるように他の人も考えるはずだ」という無意識の前提を持っています。「普通、人間ならこうするだろう」と考えている自分が多数派であることを疑っていないという点で、傲慢な考えでもあります。同じものを見ても同じ意見に至るとは限らないのが多様性です。
もう一つは言霊主義です。これは端的に言えば「言った言葉は現実になってしまう」というものです。なぜか日本では最悪を想定して議論をしている最中に、最悪のことを考えるなんて縁起が悪い、まるでそれを望んでいるようでいやだ、という意見が出ます。例えばどう考えても負けるということがデータで出てしまった時にはだったら一番被害を抑える負け方をしようという議論が起きますが、言霊主義は「負けると言って仕舞えば本当に負けるから言ってはならない」という考え方をします。「おそらくこうなるだろう」「こうなることを私が望んでいる」は全く別の話ですが、それが重なって感じられるのではないかと想定しています。日本語の特性なのかわからないのですが、このような文化があるために、まず相手の立場になって考え、あらゆる選択肢を考慮に入れ最悪も想定し、議論し対策を事前に想定しておく、ことができなくなっているのではないかと考えています。
希望は必要です。個人レベルでは人間は分かり合えると思います。ただし、現実的な戦略も重要です。その上で重要な点は相手の内在的論理を理解することだと思います。「相手の考えていることがわからないなら、お前の心が読まれていることを警戒せねばならない」という達人の言葉は真実の一側面を捉えていると思います。
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