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国家の存在感とはなにか

エリザベス女王の崩御に際し世界中から哀悼の意が寄せられるのをみて、エリザベス女王が大変多くの人に愛されていたこともありますが、イギリスという国自体に(イギリスとして括ってしまうこと自体が日本的なのかもしれませんが)大きな存在感があると感じました。

存在感は「その存在を意味する言葉やその存在に接した時、想起するイメージの強さと複雑さ」で決まると私は考えています。実際に生きている人間ではなく、抽象的な概念である国の存在感は国旗はともかく実際に目にして触ることができないが故にどのようなイメージを想起するかが重要だと考えています。
個人個人の記憶がその記号と出会った時、何を想起するかが存在感を決めているのではないでしょうか。

リチャードドーキンスは著書「利己的な遺伝子」の中で、文化も遺伝子のように伝わっていく性質を持っているという説を立て、その文化的遺伝子のこととをmemeと名付けました。たとえばジーンズはアメリカの一文化でしたが、世界中に広まりました。それは麦の遺伝子が農耕の発展により世界に広まったようなものだと捉えられるかもしれません。

私たちはイギリスの生み出したmemeに囲まれて生きています。スーツを着る時、スポーツをする時、ギネス記録を見る時、その源流の一つであるイギリスを無意識にでも想起しています。
まるで折り重なるミルフィーユのようにmemeが重なり合って現代社会はできていますが、その層の中にたくさんのイギリス由来のものが含まれています。

興味深い点はテニスをみてイギリスをイメージする人は多くいると思いますが、イギリス人のチャンピオンが必要なわけではないということだと思います。
ある文化が生まれその中で活躍することも存在感に影響を与えますが、そもそもの文化の源流がどこから来ているかの方がより深く人々の記憶に影響を与えているのではないかと考えます。野球を見てアメリカをイメージしない人はいませんし、漢字を見て中国をイメージしない人もいません。

文化的遺伝子はどのように広まるのでしょうか。優れた文化が広まっているとは私は考えていません。そもそも文化に優れているかどうかを判断することはできないと思います。その時に広められるような立場にいたか、または偶然の理由で文化が広がっていくのだと思います。

経済的には維持はできても大きな発展は難しい日本にとって、イギリスは学ぶところの多い国だと思います。

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