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独り相撲の人 2014年12月22日

自分の頭の中で、あの人のあの発言の意味はなんだ、自分が言った言葉を相手はどう思っているだろうかと、いつも独り相撲が展開している人がいる。

”へーすごいですね”という一言に、バカにされたように思う。文脈を読みすぎて人の言葉に含みがあるように思っている。一方で鏡のように自分の言葉も行動も、相手がそれをどう思うかを想像しながらしゃべっている。そのような独り相撲の人が集まると想像が加速し、まるで達人同士の対決のようにピタッと動きが止まってしまう。またはどう考えても誤解されようのない正しい話か、または天気や街の様子など当たり障りのない会話に終始する。黙り込む側も、沈黙に耐えられなくて喋り倒す側も、どちらも考え過ぎている。

独り相撲の人には素直さがない。素直に言ってみてそれがどんな変化を引き起こすかを見ようとする無邪気さがない。いつも完璧でなければいけないと思っていて、評価を下げてはならないと思っている。だから失敗するかもしれないことができない、言えない。

また独り相撲の人はいつも何かを裁いている。人が人を評価する時、同じもので自分もまた評価している。頭が悪いという理由で相手を罵る人は、頭が悪いと思われることを恐れて生きている人だ。みんなお前を嫌っていると相手を罵る人は、みんなに嫌われたくないと恐れて生きている人だ。

素直さには、無邪気なそのままの素直さと、ぐるっと回ってきて自分は自分にしかなれないという諦念からくる素直さがある。後者の人間は自分がへてきているから相手が隠しているものがうっすらと見える。独り相撲の人は沈黙の観察者が苦手だ。自分が見透かされるような気がするからだろう。

独り相撲は独り相撲というだけあって、実はやめようと思えばいつでもやめられる。簡単だ。あるがままを見ればいい。水は水、石は石、あの人はあの人。水はこうあるべきだ、石は普通こうだ、あの人はこちらをこう思っているはずだ。独り相撲を止めることは、そのような眼鏡を外すことだ。独り相撲は独り相撲というだけあって、自分が自分と向き合ってがっぷり4つになって動けない状態のことだ。全ては自分から始まっている。

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