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意識と動き

選手がこう動こうと意識することはどこからくるのかを遡っていくと、脳に行き着く。では脳の中のどの部分で意識を生み出しているかを追求していくと、中枢が消えてしまう。正確には入れ子構造になっていて、その中枢の中枢は何かという問いが生まれ、答えられなくなる。

受け身ではダメだ主体的に動かないと、というのは教育的には正しいけれど、実際には主体性の正体であるはずの自分の意図がいったいどこから生まれているかがよくわからない。M・マッスィミーニさんは著書の中で、Φで記述していて、繋がりの量で意識を説明しようとしている。切

私たちアスリートや、指導に関わる人間は、詳細はわかっていなくても、意識があるのかどうかも、そもそも意識がなんなのかもわかっておらず、にもかかわらず実感として私たちは意識があると強く信じている部分を、押さえるべきだと思う。人間に意識が、意思があると言い切ることは、科学的にはずいぶん疑わしい。

私は人間の行動は、外部環境からの誘発と、過去の経験から習慣化された考えや行動が合わさり行動していて、後追いでそれを自分に説明するのが意識だと思っている。つまり人間は自分の体を自分の意思ではほとんど操っていない。故に、人間の意識を信じすぎたコーチングはうまくいかない。

仮に乱暴に自分と身体を分けるなら、身体には直接アプローチできない。あくまで外部環境を整え、抽象的なイメージをもつことで、身体の動きにアプローチをする。馬の動きを変えるために騎手が乗り方を変えるように、馬が動きを変えているのではなく、動きを変えざるを得ない環境を作る。

知識があり、細部まで意識できて、人体をよくわかっている人間が、何故かうまく動けないというのはそういうことだろうと思う。意識は動きの先を行っているわけではなく、動きの後追いをしているという発想を持つだけコーチングはずいぶん変わる。

参考文献
心の社会 マーヴィンミンスキー

意識はいつ生まれるのか

サブリミナルマインド

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