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競争と助け合い

子どもの頃に競争を避け、順位をつけない教育を受けた場合、大人になってから助け合い行動を取らない傾向があるそうだ。とても面白いと思って理由を聞いてみた。

理由は子どもの頃競争をせず順位もつけなかった場合、明らかな差を目にすることが少ないので人間の能力は平等であるという考えを抱きやすいのだという。もし持って生まれた人間の能力が平等であるならば、大人になってから優秀であるかどうかは努力次第で決まることなので、優秀でない人は努力をしてこなかった人ということになる。だから困っている人を助けない傾向にあるのだという。

http://www.jcer.or.jp/column/otake/index666.html

子どもの頃僕と同じだけ練習したのに全く足がはやくない子もいたし、適当にやっていてもめちゃくちゃ速い子もいた。同じように頭がいい子もいたし、身長が高い子も、力が強い子もいた。それは小学生の頃だったからどう考えても努力で決まっているわけではなくて、能力、しかも先天性のもので決まっていたように思う。それはお互い全力で比べてみてはじめて明らかになる。

みんなには個性がある。個性とは性格だけのことをいうのではなく、能力のこともいう。つまり能力がある人もいればない人もいる。よく言われるように誰にも必ず何かの才能があるというのは、信仰の対象としてはいいが、実際にはなんらかの特徴があってもそれが活かせる社会になっていなければ才能として認識されない。またはさほど特徴がないことも多いと思う。

才能を持って生まれた人もいるしそうではない人もいる。いい環境もそうでない環境もある。要するに人生は不公平な状態から始まる。だからこそ社会保障などでそれらを是正しお互いが助け合う必要があるのではないだろうか。私はたぶん相当に足の才能を持っていて、しかもよい環境に恵まれてきた。努力もしたが、それ以上に周囲の恩恵も受けてきた。だから次の世代にそれを還元しなければならない。もし全部自分の力で手に入れたものだったら、特に借りもないので返す必要もないと考えていたと思う。

2015年03月14日 blogより

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