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コミュ力とはなにか

コミュ力という言葉があります。人前で喋る職業をしていると喋る能力は段々と高まっていきますが、こういう人がコミュ力が高いというわけではありません。かと話すと論旨はまとまるようになり相手に伝える能力は飛躍的に高まります。では考えをきちんと言えるということと、コミュ力が高いことの違いはなんでしょうか。

コミュ力とは私の定義で言えば「相手に合わせて聞く力」です。コミュニケーションは定義によれば、意思疎通、交流などと訳されます。語源はラテン語のcommonであり、common senseの語源と同じです。つまり、双方向であり分かち合いであり交流がコミュニケーションです。一方的な伝達はコミュニケーションには不完全であることがよくわかります。

世の中には聞く人より話す人の方が多いです。話す人間で言えば私が典型でしょう。特に現代社会では話すこと発信することが聞くことよりも推奨もされます。議論に混ざって静かに見ているとみんな話しているけど誰も聞いていないということがよくあります。主張と対話は違うことです。

なるほど聞けばいいのかといっても、静かにただ聞いていればいいわけでもありません。「傾聴」という言葉があります。言葉の意味は「能動的に相手の話を聞く」です。言葉はどうしても常に言い損ねて、真意を伝えきれないところがあります。虹の色は日本では7色ですが、文化圏によって10色以上の国と3色の国まで幅があります。虹の色の分け方が言葉上違えば、説明もまたどうしても言い切れないところがあります。このように、相手が持っている認識の癖、さらに言えばどのような世界を生きているかを考慮した上で、聞く必要があります。

コミュ力にもう少し踏み込むとこの人に話したいと思わせることがコミュ力だと思います。どんなに雄弁でもこの人に話したくないと思ってしまえば会話は一方的になります。聴覚は受動的な器官なので話せば一応相手の耳に入れることはできますが、言葉は相手の能動的な行為なので相手が口を閉じて仕舞えば出てきません。コミュ力が低いけれど、そう言う認識がない人がよく言う言葉に「あの人は喋らない」というものがありますが、実際のところは「喋らせる隙を与えておらず聞く気もない」だったりします。

「私は常に正しいことを言う。または正しいことを言わなければならない」という認識が強すぎるとコミュ力を低下させます。コミュ力が低い人は観察するとほぼ外なく「こうでなければならないという力み」があります。もう少し言うと自分への期待値が高く「うまくやろうとしすぎている」傾向にあります。そういう意味ではコミュ力を高めるための一番の方法は「諦める」ことだと思います。

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