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足りなさと大事なもの

足りなさとは何か。足りないと感じる前に、基準がある。このラインまでは必要だ。このラインまでは欲しい。ここまであれば完璧だというラインがあるからこそ、足りなさを感じることができる。何の基準もなければ足りるも足りないもない。足りなさの背景には無意識に作った基準がある。

自分にスマホがないのを足りなさと感じるのは、それを持っている人が周りにいるからだ。自分の背が低いと思うのは、周囲の人の平均値より低いからだ。無人島で生まれ育てば足りなさを認識できない。足りなさは社会との間に生まれ、また願望の中で育つ。スマホがない時代にはスマホが足りないと思えない。

時間的足りなさの功罪は大きい。忙しければ人はトンネルに入ったように周りが見えなくなり目の前のものだけをやり始める。必死の人間は視野が狭い。一方、時間的に制限をかけると無駄なものは何かを初めて考え始める。人はさほど大事でないものを大事だと思い混んでそれに時間を費やす。
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旅行から帰る際、スーツケースに入りきらず、何かを捨てなければならなくなる。その時人は一歩引いて本当に欲しいもの、これから使うものは何かと考える。ポイントは先に何が本当に欲しいものかを考えてはないということだ。スーツケースのサイズという枠組みによって思考が促される。

みんながうまくなる世界はたくさん練習をやる世界だ。一方突き抜ける世界は、誰もがたくさん練習をしているので、本当に大事なものにだけ労力を振り分けられるかどうかが勝負を分ける。それは同時に無駄なものを決めそれを捨てることと同義で、頭の中で仮の制限をかけるセンスに近い。

凡人の選手は言われたことをやる。次点の選手は大事なものは何かを考えてやる。トップの選手は自分に枠を設けて自分に大事なものを考えさせる。この枠の掛け方次第で自分がどのように考えるかを観察し、より精度の高い枠組みをかけられるかどうかが大事な練習を見ぬくコツになる。

足りなさを根源的に変えるには上流に遡る必要がある。上流には構造があり、さらに奥には自分の思い込みがある。下流で考える人は常に流れに翻弄される。

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