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被害者意識と加害者への転向

友人の安倍俊樹が言うには多くの加害者の中に被害者意識がみられるという。加害者の中になぜ被害者意識がありどのように作用しているのか。全ての被害者が加害者にはならないように、そのうちどのような特性を持った人が加害者になるのか。加害と被害の関係とは何か。

自分が理不尽な目にあった時、なぜ自分だけがと感じ、そしてそれは怒りに変わり、この理不尽な気持ちを是正したいと思う。対象が相手であれば復讐心や、社会への怒りを抱く。しかし、多くの人はこの怒りを短期的な発散や、また自分の中で何か納得する場所を見つけたり折り合いながら生きていく。

この折り合いをつけられず、被害者から加害者に回る人間にはどのような特性があるのか。私は、世の中は公平であるべきだ、被害者である私は同情されるべきだ、そして他人の気持ちを正しく理解できない、の三つが揃っているように思う。

正義感が強く公平性を求める性質は、理不尽な目にあった時、それを是正したいという強い思いを抱かせるように思う。それが全体の仕組みというところに向かえばいいが、近視眼的な人間は理不尽な思いをした自分が対象は誰であれ少しぐらい相手を傷つけても許されるのではないかというロジックに至る。

また、被害者意識の強い人間は起きた出来事をわかりやすく説明しようとする傾向にある。今の自分が苦しいのは全て過去のあの時に原因がある。この状況の問題点は全てあの人にある。などと物事をシンプル化して捉える。実際には物事は複雑で因果を決めることは自分の思い込みでしかないがそれが見えない。

被害者意識の強い人間は自分は同情されるべきだし、気持ちは配慮されるべきだし、尊重されるべきだと思っている。常に自分は不当な立場に置かれているので、そこに不満があり、そしてそのような自分がとった行動は大目にに見られるべきだという気持ちがあるように思う。

自分がされた痛みは過大評価するが、自分が他人に与えた痛みは過小評価する傾向にある。共感も低く、記憶も偏っている。過去を振り返っても自分がされた嫌な思いばかりを思い出し、されてよかったことやまたは自分が相手に嫌な思いをさせたことは忘れている。

普通に考えれば被害を受けたから、別の人へ危害を加えていいということにはならないが、難しい点は本人がこの歪みに気づいていないということだ。ブラックボックスのようになっていてどんなに賢い人でもその矛盾になると急に、もしかしたら無意識に考えることをやめる。

確かに不幸なことだったかもしれないが、それにレバレッジをかけて数十倍に膨らませたのは他ならぬ自分である。

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