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言葉が通じなくなり、同じ船に乗った仲間が引き裂かれていくこの世界において

長文ファンの皆さまおはようございます。

エリートが使う言語というものがあります。それは英語など外国語が話せるなどではなく、単語の選び方、言い回し、前提とする知識などが共有されているということです。

もともと文字を読む能力は人間には備わっておらず、ここ数千年で獲得しました。眼球運動をコントロールし、文字を音に変えることでなんとか読んでいます。失読症が一定数いるのはむしろ自然なことだと言えます。

活字に触れ議論できること自体がエリートの世界にいることだと考えられます。世界中のメディア空間を支配しているのは、エリートや知識層だと言われています。

日々、目まぐるしく変わる言葉。複雑な文脈。皮肉をこめた言い回しなど、ついていくのが大変です。

エリートは自らの言葉に無自覚です。なぜなら仕事場も、家庭も、食事も、休日も似た人たちと過ごしているからです。前提が違う人と、会う機会が少ない。言葉の特殊さに気づくことも少ないわけです。

最近よく聞くのは、英語や中国語など言語の違いよりも、同じ言語圏で違う社会階層の言葉の違いの方が大きいと感じる、という話です。

世界中ポピュリズムが台頭していると言います。それがよくわからないと。おそらくなぜそれがわからないかと言えば、交流していないからだと思われます。アメリカの東西は中央と交流が少なく、東京は地方との交流が少ない。

私の周辺では都知事選は大変に盛り上がっていましたが、日本の人口の1割強しか関係ありません。同じ日程で鹿児島県知事選挙がありましたが言及している人はほとんどいませんでした。

この言葉が通じなくなっていく世界において、当然用いられるのは動物的な、時には暴力的な手段です。エリートはそれを言葉で止めようとします。しかし止めるために使う言葉すら、エリートにしか理解できないものを用いてしまいます。

この分断は大きいと私は考えています。そしてお互いがいくら伝え合おうとしても、言葉でやりとりしている限りは埋まらないでしょう。かと言って、一緒に食事をして、日々生活することもおそらくはないでしょう。

私たちは同じ船に乗っているという感覚こそが求められているように思います。自分の言葉が土から、生活から離れていないだろうか、そうチェックするようになりました。

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