見出し画像

身内と甘え

人間は家族だと思うと、身内だと思うと甘えるところがある。甘えは社会では引くはずの向こうとこちらの線、あの人のものとこちらのものの線を曖昧にする。その線を越える様子を見て、ここまで心を開いてくれたんだと思うか、または自分の範囲に侵食されたと思うかは人によって違う。

人間は秘密を打ち明けたり、悪さを一緒にしたり、本音をしゃべることで関係を近くする。外で喋られたら困ることを話すぐらいに信頼しているという合図で、外と内で言えば内に入ったということでもある。この暗黙の了解を破って内側の秘密を喋る人はどのコミュニティからも排除されがちになる。

内と外をきれいに分ける人間は、人によって言葉遣いが違う。身内には甘え、外部にはよそよそしいか、または外面がものすごくいい。内と外を分ける人間は、ざっくばらんでぶっちゃけたようなタメ口口調を好む。敬語はよそよそしいと感じ、それではこちらに心が開かれていないと感じる。

一方、外と内をそれほどわけない人間は、基本対応が変わらない。あの人は誰にでも同じ態度だと言われるが、一方内に対しての執着も弱い。甘えない代わりに甘えさせない。一線を越えるなら内だろうが外だろうが距離を置く。甘えを求める人間には冷たく感じる。仲がいいのに判断に情が入らない。

家族は本当に内なのか。人によって違う。私は一番近い外だという感覚で、家族は内だという感覚の人もいる。外だとすると一定のルールと一線をこえない配慮がいるが、内だとすると気にせず一体になろうとする。コロナ離婚が増えているというニュースを見たが、この内外の感覚の違いも大きいのではないか

優しさは内に対してと、外に対してがあり、人はこれを分けている。昔の流儀はうちへの優しさの範囲を広げていくものだったが、今の流儀は内側自体を作らないか極小にするものに近い。外での優しさは誰から見ても問題ないものにするべきだという意識が働き、内はあなただからという贔屓で成り立つ。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?