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夢についての考察と激励

どうせ夢が叶わないのだとしたらなぜ夢を見るのかという質問があった。まず最初に合理的であるとはどういうことかを考えたい。費やしたものに対し返ってくるものが大きい場合それらは合理的と言える。夢が叶わないのだとしたら努力を費やすのは合理的ではないのではないかという質問として捉え直せる。

確かに夢を叶えることが全ての目的であり、夢が叶わないのが自明であれば合理的ではないので取り組む必要がない。しかし実際には三つの反論がありえる。
1、夢が叶うかどうかはわからない
2、夢が叶うのは一瞬
3、人間は殻を破った後に違う世界の見方をしている

まず今現在の戦力、狙っている対象、環境がはっきりしていないと夢を叶えることが可能かどうかわからないが、実際にはどれもわからない。特にわからないのは、自分の戦力だ。人は常に自分の本当の限界を知らない。一定量本気でやってみるまで自分の姿は見えてこない。つまり戦力が最初はわからない。

夢を叶えても一瞬で終わる。人は夢を叶える前、夢を叶えた状態を過大評価している。人はどんな状態にも馴れる。そして幸せは位置ではなく明日へのベクトルによって決まる。夢を叶えてしばらく経った時、むしろ夢から得た幸福はそれを目指して夢中だったあの日々にこそあるのではないかと感じる。

夢を叶えようとして頑張った結果、叶わないことの方がほとんどだが、不思議と人間は本気で何かを目指すと、欲しかったものとは違うものを手に入れて充足感を得る。メダルによる自信は時間と共に色あせるが、あの日やりきった自分に対しての自信は一生色あせない。誇らしい自分は結果より勇気を出したあの行為に宿る。

合理的である前に、合理的に何を追求するのかという問いがある。おそらく幸福だろう。では幸福の最大化は何によってなされるのか。常に合理的に判断をしていき得られた富や地位で何をするのだろうか。趣味や、家族や仲間との時間は幸福だが、非合理なことは多い。しかし非合理にこそ幸福がある。

夢が叶わなくても、夢が叶っても、人生は終わらない。そして人は様々な経験の中で自分自身が変わり、見方が変わり、夢は変わり、感じ方も変わる。人生とは道中のことであり、厳密に言えば終わりというゴールとは死しかない。人生を楽しむということは道中を楽しむということに他ならない。

一定やれば確率は見えてくる。それで方向転換をしても、諦めてもいい。しかし、事前にはわからないことも多い。夢を見て、それを叶えるプロセスにも技術がある。技術は体得するしかない。実際に夢を見てそれに挑むしかない。泳げるなら飛び込むんだけど、と水辺で悩む人は泳げるようにはならない。

若者よ、君はまだ本当の自分を知らない。想像もつかない力が自分の内側に眠っているがそのことに気付いていない。表面を分析しそれで分かった気分になっている。全身全霊をかけて自分を夢にぶつけてみろ。想像もしなかった自分が待っている。世界は広く自分は深い。まだ何も未来のことは、いや自分自身すら決まっていないのだ。

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