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リスクを取ること Deportare Letterより

個人の成長を眺めていて、人生の前半は努力の影響が大きいと感じますが、人生の後半はリスクが取ることの影響が大きいと感じます。努力できることとリスクが取れることは違う能力です。旅に例えてみると、努力とはゴールが見え地図も見えている中で辿り着くために必死で歩を進めることです。一方でリスクを取るとはゴールは見えていても地図がない中で陸路か海路かを選ぶということです。いくら速く長時間移動できるようになっても海路か陸路かを選択する度胸とセンスは身につきません。

リスクを取る能力を高めるには、リスクを取る機会を増やすしかありません。驚くほど忍耐強くて努力家の人が、決断ができないということは十分に起こり得ます。
リスクを取るとは、突き詰めれば決めることです。だから決める経験をしないとリスクはいつまで経っても取れるようになりません。一方で生きていれば人は何かを決めてはいます。ではどのような状態で決めることがリスクを取ったことになるのでしょうか。

①よくわからない
②失うものがある
③皆の賛同が得られない

です。情報が出尽くすのを待ち、失うものがない方法を選び、皆の賛同を得てから決めるならリスクを取っていないことになります。

リスクを取る取らないというのは実は正確ではなく、どんなものにも必ずリスクはあるのでどの程度取るかだけだと思います。そもそも未来はどこまでいっても常に不確定なので、意識するかどうかは別として人は常になんらかのリスクを取って生きています。いい学校に入っていい会社に入って、と一般に言われる安定志向も一言で言えば日本の既存システムに一点張りしたということなので、既存システムが崩れれば脆弱な立場に置かれます。どのような安定も必ず前提とするものがあり、その前提とするものが崩れれば安定もまた崩れます。

リスクは取れるけれど取らないということと、リスクが取れないことは違います。大事なことはリスクを取ることではなく、リスクを取れる状態にしておくことではないでしょうか。そうすれば、自分で考えて必要な時選択することができるからです。そのためにはリスクを取る経験をとにかくどの年齢からでも積み重ねるしかありません。かといってそれはそんなに大きな話ではないと思います。いつもとは違う行動を取ること、他人とは違う行動をとることを繰り返すことで、次第に慣れる話です。

リスクを取った経験がもたらすものはたくさんあります。まず第一に選択がうまくいかなくてもそれでもなんとかなるじゃないかという自信です。人は大体危険よりも大きな範囲を恐れています。恐れていたけれど想像していたほど危険ではなかった、またはその逆も味わいながらリアルな危険との境目を知ることで人は「なんとかなる」という自信をつけていくのだと思います。

第二にリスクを取った人に対してのリスペクトです。決めたことがない人には「決める」ということがどういうことか肌でわかりません。こっちがいいはずと、こっちにするは決定的に違います。頭と度胸の違いです。その違いがわかっている人が多い集団ほど、リーダーがリアリティのある決定をしやすくなります。

第三に自分の人生を生きるという確信です。リスクを取る前の人生は例えれば河に置かれて流されている笹舟に過ぎません。怖い。だけれど自分で考えて自分の意志で自分の一歩を踏み出した瞬間に自分の人生が始まります。リスクを取る前と取った後の人生は、大袈裟ではなく生きている実感が違います。

日本にはいくつか課題がありますが、その課題の根底に国民一人一人がリスクを取れていないことがあるのではないかと思います。子供の頃からリスクを取る、そしてそれを奨励する、失敗も大いにするけれども大したことないと感じ、他人と違う人生を生きてもそれでいいと感じる、という経験が必要なのではないでしょうか。

我が家はまず一歩めのリスクテイクとして、息子には今年のお年玉を使って好きなものを買わせて(どうせしょうもないものに使いますが)その結果責任を受け止めさせようと思います。自由への道は険しいぞ息子よ。

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