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武器としての不機嫌

人間が二人以上でのグループで会話をする時、片方が全くそっけない対応をしていると場が成立しません。「この場所をお互いそれなりに良い状態に保ちましょうね」という暗黙の同意があります。そこに不機嫌を隠さない人間が入ると、場の空気をなんとかしなければならないという責任をその他の人間が感じ機嫌を取ってしまうことがあります。不機嫌を表に出すことによってその他の人達が機嫌を取る側に回ってしまいコントロールされてしまう。これが不機嫌な人が場を支配するメカニズムではないかと思います。

不機嫌でいると相手を怒らせて自らの身が危ない局面においても、不機嫌でいるような人はそれほど多くありません。不機嫌は不可避ではなく、相手と場所を選んで表出されています。若い女性には不機嫌でいるおじさんが、自分より上の男性には機嫌良くなることがありますがこれなどはすごくわかりやすい例です。もちろん誰にでも日常的に不機嫌な人もいます。ただ不機嫌な人と一緒にいたい人はそう多くはないので、その人がよほど能力や富や権力を持っていない限りは社会的に孤立していきます。

一人で問題に対処しなければならない局面においては、いかに精神を安定させておくかが重要です。感情が揺れるとそれだけ体力を消費しします。不機嫌でいる人はなぜか人に寄っていくようなところがありますが、それは不機嫌でいすぎると一人に耐えられないからだと思います。不機嫌でいながら場が壊れず成立しているということはそれを許してくれる相手がいるわけで、不機嫌は相手の許しがあって成立しています。その点に注意を向けると甘えでもあることがわかります。

不機嫌な人と対峙する時、大事なことは機械になることです。無声映画のように音を消し相手をただ観察します。不機嫌な人は共感を求めています。不機嫌によって共感を得てしまうと、不機嫌によって人をコントロールすることを学習し、より不機嫌が強化されるのでただ傍観することが大事です。

自分自身が不機嫌を扱うことも重要です。人間は聖人君子ではありませんから悪態をつきたい時も、機嫌が悪い時もあります。いつも機嫌良くいようとしすぎることで、内部に矛盾を抱え別の形で噴出することがあります。ですから、ほどほどに吐き出すこともまた重要です。ただ大切なことは、不機嫌なのではなく私が不機嫌を選んでいると認識することだと思います。私が機嫌をコントロールするのであって、機嫌にコントロールされないようにすることが大事です。自分が選んでいることに気が付かず、不機嫌は不可避であると思っている人もまたいます。


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