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今昔物語は読み終わらない。

何(十)年も前に買って放置していた今昔物語集。
今更になって読んでいます。
日本版『失われし時を求めて』。
読み終えるのはいつになることやら。
いや、ジャンルが違いすぎる……。
共通点は長いことくらいか。
後、意外と題名の意味が重なってる。

閑話休題します。
……いや、閑話休題に「します」という表現は見たことないな。
閑話休題、という表現はいつも微妙に混乱する。
「フィクション」と同じ。
まあ「フィクション=作り話」と意味を固定させる手法でそれが防げた。
同様に「閑話休題=話を戻す」と決められたことは大きい。
それで用法を覚えることができました。

再閑話休題します。
今昔物語は全集で購入していたので話の長さは覚悟していました。
あとは「今は昔」で始まるお約束。
逆に言えばそれくらいしか知らない。
内容はぼんやり。
芥川の『絵仏師良秀』や『芋粥』の元ネタ。
それくらいしか記憶にありませんでした。

読んでみると冒頭が仏教説話でぎっちり。
最初は仏教を創るブッダの生誕時の話。
読んでいると手塚治虫の『ブッタ』の情景そのもの。
ああ、芥川だけでなく手塚治虫も今昔物語を読んでいたのだな。
そう感じました。
最初から数ページは文字を追うごとに漫画が思い出されます。

ダイバダッタの魂宿し〜♪
というアニメ主題歌が昔あって(世代じゃないけど)
アニメの主人公側なんだから当然いい人……のはず。
でも、手塚治虫の話ではブッダに憧れ嫉妬する悪役。
どっちなんじゃい、と思っていたらやっぱり悪役だった。
調べてみると、悪人を改心させる仏教の性質。
それがダイバダッタを善側に変えたのだとか。
なるほど。

女性軽視……なのでしょうか。
そう見られそうな説話がしばしば。
例えばブッダの異母弟、難陀(なんだ)のお話。
難陀は美人な奥さんにベタ惚れ。
それでええやん、と思うけれどそうはさせないブッタ。
難陀を帰依させるためにあの手この手を尽くす。
難陀が家に帰ろうとするのを邪魔します。
奥さんより超美人な天女500人を見せて心移りさせる。
その後、仏教に帰依しなかったら地獄に行く未来も見せる。
ブッタも難陀もひどい。

宗教関連の書物で見られる共通の認識は"自我否定"。
自分の欲を捨てることのススメ。
我欲隠滅のススメ。
個性を重んじる、という近代教育とは真逆の性質。
この性質は他の動物には存在しない。
人間ならではの特質です。

生物にとっての最大の恐怖は死。
その死を乗り越えるところに巨大なエネルギーがある。
これが人間という種を発展させた原動力です。
『サピエンス全史』においての認知「革命」。
「革命」と評するほど、他の生物には見られないものでした。

革命を起こすギミック満載の歴史ある宗教の一つ、仏教。
『今昔物語』はそのあり方を体験できる書物でした。

あと、死んだ後にどうなるか、という話。
夢物語であることはいまだに印象として変わりません。
でも、母が他界した今、その夢物語に救われる感覚もあります。
全く何もない空虚より、どんな風に過ごすのかという空想。
その行為が生者にとってどれだけ救いとなるか。
なるほど、これこそもまた宗教的救済なのだろう。
そう実感するのでした。

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