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マザーコンプレックス

僕は失敗の多い人生を歩んできた。
けれど、後悔したことがない。
「後悔しない人生を歩む」。
そんな目的としてではなく、事実である。

もともと僕には才能といったものがない。
努力が足りなければ当然のように失敗する。
普通に努力してもうまくいかない。
人並み以上に努力して、やっと認められる。
そんな程度の人間である。
能力がないと分かりきっている。
だから自分の人生にたらればを考える必要がない。

あの時ああすれば。

その考えは自分の能力に関わるもの。
だから僕は後悔しない。
できなかったことは、能力が足りなかった。
それだけだ。

……。

もともと、兄夫婦と両親は折り合いが良くなかった。
帰郷するたびに、母からは愚痴を聞かされた。
なだめ、うなづき、同調した。
しかし最後には僕が疲れてしまった。
どんなに助言をしても、母は動こうとしなかった。僕は実家を飛び出し、数年間家に帰らなかった。

母からメールが届いた。
もう長くない。
また入院した。
だから会いたい。

僕は頑なになっていて、無視をした。
しかし情に絆されて返信した。
母は素直に喜んだ。
しかし、その後には退院予定の内容と軽すぎる絵文字の文面が続いた。
その内容に僕はまた母に傷つけられることを読み取った。
結局、実家には帰らなかった。

……。

もう母はいない。
僕は今、誰もいないキッチンにいる。
座り心地の悪い椅子に座り、文章を書いている。
書くことは救い。
自分を救うために身内の恥を全部文にしている。
後悔はない。
あの時、帰って母に会わなかった。
後悔はない。
ただ、一人きりで色々なことを抱えながら、座り心地の悪い椅子に座っている母が、きっと今の僕と同じように孤独になっていることがかわいそうで泣いている。

一度、僕が帰る、と返信した内容を見て喜ぶ母。
その後で、やっぱり帰らないことを知った母。
弱い人間の絶望が哀れで泣いている。

生前の母と言葉を交わせなかったこと。
後悔はない。
ただ、小さく丸まって一人で座る母。
そんな母を想って泣いている。

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