わたしのおなかの小さな宇宙

25歳

いつどんな風に訊ねて、いつ自分が記憶したのか全く覚えてないけれど、物心つく頃には把握していたわたしを産んだ母の年齢。将来について問われたときにはいつもぼんやり頭をよぎる、ひとつの節目であった。

遠い先のことのように感じていたはずの25歳が近づくにつれ、晩婚化の傾向にあるという今日に比べると殊更、母は随分と若いうちに結婚・出産を経験したのだなと思うようになった。

でもわたしには無理無理、「せっかくこんな時代だから、いいなと思ったひとと結婚するのが一番よ」といつも優しいおばあちゃん、ごめんなさい何のアテもないんです、結婚式に招待したり、ひ孫の顔を見せてあげたりしたかったけど、ああもう間に合いそうもない、だって彼氏ってどうやってつくるの? 世の中あんなにカップルがいるけど一体何が起きているの? 錬成? 出会いってどこにあるの? 高校も大学もだめ、アルバイト先もだめ、やっぱりお酒? お酒の席なのか? と路頭に迷って早何年……?

ついこのあいだまでお酒片手にそうやって頭を抱える日々だったのに、気がつくと「25歳」を迎える前に大きなおなかを抱えている臨月の自分がいる。左手の薬指には憧れだったプラチナリング。同じく左手の薬指におそろいの指輪をしたひとが毎朝となりで眠っている。母の年齢に間に合うどころか先を越してしまった。人生何が起こるかわからない。

ぽこぽこ、なんて可愛い動きではすっかりなくなり、ぐぬぐぬ、ぎゅむぎゅむ、時々ぷるぷるとしゃっくりもする、毎日元気なおなかの子。

遅すぎる妊娠発覚、初診時には既に妊娠5ヶ月、散々な飲酒、長時間の立ち仕事、不規則な生活、月に数回のバレエのレッスン、飛行機搭乗。おなかの中での最も大事な時期に、大層劣悪な環境だったろうに、本当によく一緒に臨月を迎えてくれたなと思う。

発覚までの間、生理不順かしらと思いつつ「妊娠しているかも」と考えることが決してなかったわけではない。ただ彼に相談してみる勇気も、検査薬を使って「もしも」の現実を直視する勇気も、わたしにはなかった。ただの生理不順なら(おなかに子どもがいないなら)、それに越したことはなかった。

11月半ばの仕事帰り、どんな原因であれそろそろ病院に行かねば、そのためには、とついに人生初の検査薬を近所のドラッグストアで購入した。ものすごく緊張した。

明日なら彼はお休み、わたしは研修で遅めの出勤、もしもの時も気まずい時間を共有せずに済む。

「おれは素晴らしいことだと思うよ」

彼のすごいところはこういうところだと思う。翌朝、まだ寝ている彼に「赤ちゃんできたかもしれない」と強引に報告をしたあと、まじか、うおー、そっか、といくつか発声したあと、彼は言った。

間を空けず「おまえはどう思う?」と訊かれた。ピンとこない、としか答えられなかった。うんでくれる? とも彼は訊いた。陽性のしるしに「どうしよう」ばかりで喜べていなかったくせに、わたしは黙って頷いていた。

早めに病院へ行こう。いつなら行ける? そもそも病院どこにあるんだろう。調べておく。とりあえず研修行っておいで。

数日後、なかなかお休みもなく忙しい彼の出勤前に一緒に病院へ行った。土曜日の午前中の病院はとても混んでいて、結局初めてのエコーはひとりで受けた。

先生にも「わっ、もう大きい」と言われたおなかの子は、すでに心臓も背骨もあって、完全に「人」だった。心音を聞きながら何故か涙がこぼれていた。先生からの「失礼ですが、出産のご予定ですか?」との質問には「はい、産みます」と即答していた。自分のおなかでひとが生きている。自分には殺せない。「性別、知りたいですか?」「えっ、もうわかるんですか?」「ええ、たぶんおとこのこですよ、ここがね、そうなる」

そんな初診から早5ヶ月。

わたしがこんなだからか、赤ちゃんは生まれる前からよくできた子で、つわりもほとんどなければ、逆子も一週間であっさりなおった。唯一困ったことといえば、予定日からもう一週間経つことくらい。居心地のいい宇宙なのよ、と母は言う。

25歳

ひとつの節目を迎える前に、人生における最大のイベントを迎えられるおかげで、きっとおばあちゃん自身も諦めていたであろうひ孫を抱っこさせてあげられる、両親がまだ元気なうちにたくさん孫と会わせてあげられる、大好きなひとが父親になっていく様子を隣でずっと見ていられる。

胎内という小さな宇宙から出てくるのはどんな気持ちだろう。こわいだろうか。めんどくさいだろうか。もう少したゆたっていたいだろうか。

重力はあるし、呼吸もしなくちゃいけない、おっぱいも飲まなきゃいけない、お風呂にも入れられて、おむつをつけられ、そのうち眠ってばかりもいられなくなってしまう。たくさんのひとと出会い、時には意地悪されることもあるかもしれない。いいことばかりではないかもしれない、思い通りにはいかないかもしれない。

でも人生何が起きるかわからない。たくさんの厄介ごとがあるこの世界の、小さな宇宙にいる君のおかげでわたしが今とても幸せなように。

宇宙の外に出てきてよかったと君は思ってくれるだろうか? ……いやきっと思ってくれるはず。人生何が起こるかわからないから。

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