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言葉にできないもの

ホロスコープをリーディングしてお伝えしていると、ほぼいい時期をきちんと自分で色々と選んでおられる方が多いなぁ、とひしひしと感じることが多い。

そういうのを直感とか言うのだけれど、直感で全て決められる人というのも実際にいらっしゃるし、そのような方にこういった占いやカウンセリングなど、そもそも必要がない。素晴らしい能力だと思う。
「何となくこっち側は嫌な気分がする」とか、「なぜあの時に絶対できる!というようなバイタリティがあったのかわからないけど、すごいパワーが出た」とか。
特に思考する余地なくごく自然にそこへ行き、その行動を選んでいるという。

元々人間はそういう本能的勘という感覚の優れた生物だったのだろうとは思っているのだけれど、カウンセリングで実際にこういう事を見たり聞いたりする度に、やはり・・という思いが強くなる。

けれど私もそうであるけれど、だいたいの人は背中を押されないと、その自分の感覚を全ては信じることができない。
そのために我々のような職業が成り立っている理由の一つでもあるのだけれど、
なぜ、この現代では、その直感を信じるということがここまで難しくなってしまっているのだろう。

本などを読んで語彙力を増やす、というのも一つの手ではあるのだが、言語化することが、いつも最適な道とも限らない。言葉にすると萎える、とかそういう時。

元々、その言語化できない思いやインスピレーションというのは、
我々が認識して話している、言語の分野にないのだから、言語化できないのが
そもそも当たり前なのである。そこの次元に繋がれる人、もしくは、言語化能力に優れた人は、それらのものをこの世界で使われている言葉に変換する力があり、そのお役目的なものを担っているのだろう。
ただ、その言語化できないものは、味わうということはできる。

私はそういう時には嗅覚に似た雰囲気のようなものとして感じるのだけれど、
とにかく人それぞれに、ある。

それは一瞬かもしれない。その一瞬の感覚を、
どうだったか、どんな感じだったか、

言葉になる前の感覚を、味わって、覚えていて欲しいし、言葉にする必要はないのだと感じ、
誰かに渡す前に自分だけで味わってみてほしい。

その思いをどうにかして伝えたい、と思うそのこと自体が 愛 と呼ばれるものなのかもしれないけれど。

そしてその元々言語化できない分野を我々の次元に落として分析をしているのが、占星学や九星気学といった占術でもある。


あなたが感じる、思う、その言葉にならない感覚、自分だけにしかわからない感覚を是非とも信じてあげて欲しいなと思います。

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