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自分をとことん幸せにしてあげるための一年

今年1月の誕生日を迎えたあたりから、2021年というこの一年を自分のやりたくないことはやらず、やってみたいと思ったことはじゃんじゃんやり、思っていることは誰に遠慮会釈することなく声に出す、つまるところ他の誰でもない「自分を幸せにする」というミッションにコミットするために捧げることに決めました。

幸か不幸か今年は夫が海外に一年間単身赴任中でいないので、一日のうちほぼ丸々24時間を自分のためだけに割くことができるという状況にあり、自分のやりたいことだけをやるのが許される環境にあるというのもあります。いい機会だし、せっかくだからやったろうじゃん。

これは口で言うのはたやすいのですが実際にやってみるとなると結構難しいんですよ。障害になりうるのは、実は赤の他人でも家族でもなく「自分自身」だったりします。

「こんなことを言ったら嫌われるのではないか」「誰かに叩かれるのではないか」なんてことを頭の中でぐるぐる考えてしまって、なかなか言えないこと、できないことってきっと誰にでもありますよね。

わたしが4年以上YouTubeをやってきて、頭の片隅に常に置いてきたのは「わたしが何か意見を口にすることで誰かが傷ついたり悲しい気持ちになったりしないように」ということです。でも、世の中の全員を幸せにすることなんてまず出来やしないんです。みんな違う意見があって、違う環境に身を置いていて、たとえ同じ景色を見ていたって感じ方が180度違うことだって本当によくある。

もっとぶっちゃけて言えば、わたしが幸せだーと思ってのほほんと暮らしているだけで誰かの感情を逆撫ですることだってあるわけです(おぉ怖い)。わたしはこんなに毎日頑張って苦しい思いをしているのに、なんであなたはそんなに平和で幸せそうなのか、頭にくるな!ということなのでしょう。

昔は割とそういうのをいちいち気に病んで「なんか無駄に幸せそうですいません」と申し訳なく思ったりしていたのですが、よく考えてみたらその人が毎日苦しい思いをしているのは100パーセントわたしのせいではないわけです。わたしが幸せだ!と毎日思えるか思えないかが他の誰かの決断ではないように。

赤の他人が何を思ったりどう行動するかという部分に対して、わたしという人間が出来ること、コントロールできることはほぼないと言っていいと思います。でもその代わりに「自分が毎日何を思い、どう行動し、どう感じるのか」という部分だけは完全に100パーセント自分でコントロールできるんです。

他の誰かが自分の悪口を言うことは止められないけど、それにどう反応するかは自分で100パーセント決めることができる。今置かれている状況に対して「幸せだ」と思うか「不幸だ」と思うかも自分で全部決めることができる。これって自分的にはすごい気付きでした。

最近は朝起きてコーヒーが美味しいだけで幸せ、うさぎがちゃんとごはんを食べているだけで幸せ、愛する夫が今日も元気で幸せ、静かに本を読める時間が幸せ、あたたかいベッドがあって幸せ、と幸せを感じることが多すぎて毎日わたしはなんてハッピーなんだ、こんなに幸せでいいのか!と思ったりしています。多幸症なのかな?

結局のところ、自分で自分を幸せにしてあげるためには「自分は幸せだ」と決めてしまえばいいんだと思います。そう思えないなら、なぜそう感じるのか、幸せだと思えるためには何をすべきか(もしくはやめるべきか)を一生懸命考える。

青い鳥じゃないけど、幸せというのは本当にけっこうすぐそこにあるもんじゃないかな。


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