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小さな違和感を見逃さない

今までずっと何も考えずに続けてきたこと、たとえば仕事だったり勉強だったり、ブログやYouTubeなどのソーシャルメディアだったり、自分が属しているコミュニティ(ヴィーガンコミュ、ミニマリストコミュ、生活系ブロガーコミュなど)だったり、

・・・に対してある日ふと「あれ、なんとなく今いるこの場所しっくりこないんだけど?」と感じることってありませんか?

わたしがnoteを始めたのもまさにそれが理由で、過去2年毎日更新を目指して続けてきたBloggerでの投稿が800記事を超えた時点で「あれ?今これを書いていて全然楽しくないんですけど?」ということに気が付いてしまったからなのです。

そう、ある時点で自分が属しているブログランキングのコミュニティのブログ記事の内容(百均でのお勧め品、楽天マラソンで購入したもの公開、プチプラで「高見え」するファッションなど)が、自分が読みたいものとは少しずつ乖離していることに気が付いてしまいました。

ブログに限らず、インスタを開いてもYouTubeを見ていても、最近そういうのを見ても面白いと感じなくなっているのに、つい惰性で見ちゃってたんですよねぇ。

もちろんそういうさらっとスクロールできる、普段の生活に密着した投稿が読みやすく需要もあるのは知っていますし、自分もそういうのが好きで大量にそういう情報を消費していた時期というのがありました。

でもふと「この大量に流れてくる情報を自分の中に取り入れたところで、自分の人生にとってこれらは果たして何か人生の質を上げるような役割を果たしているのだろうか?むしろこれらは自分から貴重な時間を奪っていっているのではないか?」と思うようになったんです。

そこで、少し前からInstagramを見るのを意図的に控え、YouTubeも主に大好きでチャンネル登録している人のもの以外は見るのをやめ(本要約チャンネル系は好きなので家事しながら聴いてますが)、ブログ村ランキングの記事一覧に上がってくる記事をなんとなく眺めたり読んだりするのをやめてみました。

そしたら当たり前なんですけど、時間ができるようになったんですよね。今までこの無意識のスクロール行為に一体一日何時間費やしてきたのか!と考えて茫然としてしまいました。

今まで「時間ができたら」読もうと思って積んであった雑誌や本が実際に読めるようになり、「時間ができたら」じっくり追いかけようと思っていたnoteの記事を読み込むこともできるようになりました(noteに寄稿しているブロガーさんが書く記事の多くは1記事あたり一千文字以上が当たり前、読み応えのある記事をたくさん書かれている方が多い印象)。

そして今こうしてnoteで記事を書く時間も出来たわけです。ハレルヤ!

多分自分の中で「こういうんじゃなくって、もうちょっと違うコンテンツを読んだり書いたりしたいのよ」というエネルギーが高まっていて、それが無意識のうちに表に出てきたということなのかもしれません。

「あれ?なんかこれ違うんじゃない?」という、ちょっとした違和感を感じる時というのは、自分自身に対して「なんか今いるこの場所、今やっているこのことはちょっと合わなくなってきているような気がするから、今いる場所や行動を変えてみてはどうでしょうか」という無意識のシグナルを送っている時なのではないかな。

このシグナルを無視して今いる場所に留まり続けることを選ぶ人、シグナルを感じてはいるけど動くのが億劫だからまあいいや、といってその場で足踏みをしている人、いろんな人がいるでしょう。

でも、この「あれ?」という感じに少し正直になってみると意外と次のステージへ楽々進めるようになるんじゃないかなと最近考えたりしています。これからは、違和感を感じた場所から軽やかに別の場所に移動しちゃおーっと!って思って歩き出せる人がどんどん自由になっちゃうんじゃないかな、って。

「置かれた場所で咲きなさい」と言う言葉がありますが、人間は木や植物じゃないんだから立派な二本の足で自分の咲きたい場所へ行くことも出来るでしょう?

「置かれた場所を去る勇気」というのも、たまには必要なのかもしれないなーなんて思うのですが、どうでしょう。


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