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『国語の教科書に出てくる本』読んだことありますか?

「本のタイトルと著者を当てるゲーム」が期末テストに出されたのは記憶にあるけど、文学作品としてゲームに登場した本をを読んだ記憶がありません。むしろ読んだのは社会人になってから。今回はそんな話。

『図書館の神様』が教えてくれた文学

先日、瀬尾まいこさんの著書『図書館の神様』(ちくま文庫)を再読していました。最後に読んだのが5年前だったからか、再読してもストーリーが思い出せない始末。結局、最後まで読み切ってから、なんとなく読んだかもしれない…レベルだったので、ほぼ初読です。

まあ、そんな訳で『図書館の神様』を読んだわけです。

ストーリーはさておき、主人公「キヨ」が顧問を務める「文芸部」唯一の部員「垣谷」くんが、まー、よく本を読んでいること。

それも川端康成、夏目漱石の本をサラッと紹介してくるのです。おいおい、ほんとこれだけでも『図書館の神様』だよ!と思うのですが、いやすごい。

この本に登場する本が次のとおり。

川端康成  『雪国』『抒情歌』『骨拾い』
夏目漱石  『こころ』『夢十夜』

悲しいことに、私はこのどれも読んでいないけど、なぜかタイトルと著者だけが紐付いているのです。なんてこったい!

『図書館の神様』では川端康成の『抒情歌』で「鼻血」について書かれていて、鼻血つながりで『骨拾い』を紹介してくれています。文学を紐解く時に堅苦しく「読まなきゃならない!」というメンタルブロックを外し、ハードル下げてくれる瀬尾まいこさんの優しさが感じられます。

「タイトル&作者+年代」の丸覚えゲーム

そう言えば、米原万里さんが著書『偉くない「私」が一番自由』(文春文庫)の中で面白いことを書いてます。これは米原万里さんの実体験だから
、その後の活躍を見るとさすがだなと感じます。

プラハのソビエト学校でも、「文学こそ民族の精神史の記録、であり、粋である」と常々教えられ、実際そうだと思ってもいた。だから、『今昔物語』や『出雲風土記』から与謝野晶子訳の『源氏物語』、『南総里見八犬伝』を経て川端康成の『伊豆の踊子』まで、順を追ってとにかく片っ端から読んでいった。

この直後に、本書では日本に帰ってきた米原さんが国語の授業で「井原西鶴の『好色一代男』を読んだ人」と聞かれ、手を挙げたのは米原さんだけ、「では、田山花袋の『蒲団』は?」と聞かれ、やっぱり手を挙げたのは米原さんだけという体験を綴っています。

これは打ちのめされるような大ショックだった。読書そのものの感動を体験せずに、そんなデータだけ覚えて得した気になるなんて、何と味気なく退屈な人生なのだ、と。

お恥ずかしい…。まさにそれ。どんなに内容に感動し、素直に好きな著者を探すことができても、本のタイトル、著者、発行年だけ覚えている人が優秀であると。その不幸を感じる人はまだ幸せかもしれない。多くの人が、知らぬまま、読書習慣も無いまま大人になるのだからね。

ただ読めば読めば良いのか?

答えは「No!」だと思っています。読みたくない本は読まなくても良いんじゃないかなと。新卒で働き始めた頃、読書家の社長に聞いてことがあります。

「どうしたら、社長のように本が読めるようになるのでしょうか。私は本を読むことは好きですが、数ページ読んで拒否反応を示す本がいくつかあります。それも名著と言われている本ですが…」と。

回答は「それは、君が今読むべき本では無いんだよ。読むべき時には自然と読めるものだよ。それまで焦ることはない。」とのことでした。

その後、色々な本に手を出し、積読状態となっている本が数百冊を越えたのは、とても言える話じゃないですが…ま、そういうことです。

最近になって、夏目漱石、川端康成を読んでいます。

あとがき

偉そうに本読んでる感を出してみましたが、読み始めたのは本当に社会人になってから。もっと早く読書習慣があれば夏目漱石だって、川端康成だって、拒否反応なく読むことできたいと思います。

いつ始めてもOK。終わることだってできる。
とりあえず、目の前の一冊から秋の読書をを始めてみませんか?

面白かったら「スキ」お願いします。そして、承認欲求を満たしてくれ!