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【書評】まずはじゃんじゃん涙し、次いで猛烈にたかぶる ──岩井圭也『永遠についての証明』

小説すばる2018年10月号掲載。

 次点に当たる奨励賞を受賞した翌年、同じ新人賞にリベンジし、正賞を受賞する。岩井圭也は『永遠についての証明』でその偉業を成し遂げ、第九回野性時代フロンティア文学賞に輝いた。辻村深月、森見登美彦、冲方丁の選考委員三氏は選評で、奨励賞受賞作からの飛躍的な成長を絶賛。どれどれと本を開いてみたら、一撃で心を打ち抜かれた。数学を題材にした小説は数あれど、とびきりエモい。
 章ごとに二つの時間軸が入れ替わりながら、物語は進む。現在パートでは、大学の准教授で数学者の熊沢勇一を視点人物に据える。六年前に亡くなった友人・三ツ矢瞭司の研究ノートの中に、未解決問題として名高い「コラッツ予想」の証明と思われる記述を発見した。三〇〇ページ以上に及ぶ分厚い大学ノートのうち、二〇〇ページ以上は証明を理解するための「理論」に当てられている。<そこに記述された記号は、ほとんどが現代数学に存在しないものだった>。勇一は無謀と知りながらも、恩師である小沼の力も借りて、ノートを解読し論文にしようと決意する。
 過去パートでは、瞭司が視点人物となる。始まりの風景は、東京にある共和大学理学部へ入学した直後の研究室だ。その中には、瞭司と同じく特別推薦生として入学した勇一と、まだ慣れない化粧をした斎藤佐那がいる。田中と木下という怠慢先輩コンビがいる。若き日の小沼がいる。数学の世界に魅了された結果、故郷ではずっと一人ぼっちだった瞭司は、<一緒に走る仲間>を得た喜びを隠さない。瞭司の才能に憧れ嫉妬しながらも、仲間達もまた彼の純粋さに惜しみない好意を注ぐ。
 現在パートの始まりから見ると六年前に、三〇歳の若さで瞭司は死んだ。なぜだ? 永遠に失われてしまった青春時代を描く過去パートは、その謎に向かって時計の針が進み、やがて現在パートの始まりへと追い付く。その頃にはもう、悲しくて切なくて、どうしようもなくなっているだろう。
 専門用語は出てくるが、数学が苦手な人も、物語を読みこなすうえで一切の障害はない。作中で「見る」という比喩が採用されていることからも明らかなように、登場人物達にとっての数学の世界は、内面的な映像体験として表現されている。その映像は本来、他人と共有することができない。だが、時としてそれは、共鳴を起こす。まずはじゃんじゃん涙し、次いで猛烈にたかぶる、二段構えのラストシーンは、共鳴にまつわる奇跡の記述だ。
 人間は自分の中にもやもやと渦巻くビジョンや感覚を、数学や小説を通して表現し、後世の人々はそれに自分たちの今を繋ぎ合わせてきたのだ。死者について語る言葉を、悲しみなんかで染まらせたりしない。死をも乗り越える永遠を描き出す、これは祝福の物語だ。

※2022年4月刊の最新作『生者のポエトリー』(集英社)における「詩」は、本作における「数学」、そして著者にとっての「小説」と共鳴しています。「小説すばる」2022年5月号の著者インタビューでぜひ、ご確認ください。

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