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【書評】ジャズのように料理するための教本

最強「塩なし」料理理論(2020年5月、松島啓介著、主婦の友社)
http://shufunotomo.hondana.jp/book/b507305.html

通常のレシピ本が特定の料理の作り方を手取り足取り教えてくれる「クラシック音楽の楽譜」のようなものだとしたら、本書は目の前の食材を使って自由自在にインプロヴァイズしながら料理ができるようになることを手助けしてくれる「ジャズの理論書」である。

25歳の時に南仏ニースで独立し、3年目に外国人としては最年少でミシュランの星を獲得した著者は尊敬する友人だが、彼に誘われて料理教室に一度だけ参加したことがある。前職の幹部社員10名くらいを引率して、半ばチームビルディング研修のつもりだった。もう3年前のことになる。

ラタトゥイユだけを教える。聴講者は包丁を持たず、見ているだけ。そのフォーマットの料理教室でどれだけのことを学べるのか、疑問がなかったわけではない。しかし、その時に松嶋シェフと過ごした数時間は、以後の私の料理生活(比較的よく厨房に立つタイプである)に大きな影響を残した。

彼はただラタトゥイユの作り方を教えてくれた訳ではない。その一品を通じて、料理することは何かという原理原則を教えてくれたのだった。


・ ゆっくり、ゆっくり火を入れることでこそ、素材の甘み、旨味を引き出せること。時間と手間暇をかけて丁寧に作ることでしか、本当の美味しさは引き出せないこと。
・ 一つ一つの素材が独自の個性を持つのだから、一つ一つと丁寧に向き合うべきこと(全部の野菜を一気に鍋に入れるのではなく、パプリカ、ズッキーニ、茄子などを異なる火加減と時間で火を入れてから最後に合体)。
・ 塩は味付けとしてではなく、素材の旨味を引き出すため(そしてその時間を短縮するため)に使うものであること。
・ 私たちが感じている「味の正体」は甘味・辛味・苦味・渋味・酸味・うま味の組み合わせであること。その中で「うま味」が家庭のほっこりした味であること。それらが上手に、複雑に組み合わさった時に「美味」を感じること。

本書は上記の考えを中心とした松嶋シェフの料理哲学が書かれた一冊である。その他には食べることの意味、家庭での食事、子供の食事で大切にしたいことなども書かれている。具体的なレシピはそれほど掲載されていないが、レシピ自体は現代においてはネット上でいくらでも拾えるコモディティではないか。本書の原理原則を持っていれば、レシピもジャズの楽譜のように自分でどんどん拡張できるようになるし、ワンランク上の味を出せるようになる。

優れた料理人の多くは、徐々に目先のお客様に美味しい食事を作ることを超えて、いかにたくさんの人に美味しく健康的に食べてもらうかを考え、行動しているように思える。松嶋シェフの類稀なる才能は食べることの本質をセンス良く言語化し、伝えることであるように思う。彼と話をしているとシェフというよりは、どこか哲学者のように感じることがある。

最後に、NHKプロフェッショナルにて伝説の割烹「京味」の故・西健一郎氏が述べていたことを思い出した。きっと美味しい料理を作る秘訣は古今東西、同じなのだろう。

「美味しさは、手間ひまをかけることでしか出せないんです」

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