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カジュアル読書

突然ですが、趣味は読書です!

先日ある友人が「読書はハードルが高いわ」って言っていました。確かにそういう側面はあるかと思いつつも、自分はかなりカジュアルに読書を捉えているなとも、思っているんですね。

今日はそんな私のカジュアル読書について書いてました。

「こんな風には読まない」

「こんな風にカジュアルに読んでます」を話す前に、「こんな風には読まない」話をしたいと思います。

1.1冊本を選ぶ
2.ある程度の時間をつくって読む
3.読み終わったら、次の本を選ぶ

いたって普通な感じもしますが、こんな感じでは読まず、もっとカジュアル(だと自分では思っている)な感じで読みます。

「1冊の本を選ぶ」ではなく「5冊くらい選ぶ」

「1冊本を選ぶ」ことはせず、だいたい5冊くらい選びます。

たとえば好きなミュージシャンであっても、音楽を聞くシーンで、毎回同じミュージシャンだと飽きる場合もありませんか?もちろんずっと同じ人を聞く場合もあるとは思うんですが、気分によっては変えたいときもありますよね。

もちろん本は音楽ほど気軽ではないですが、5冊くらい同時期に読んでいると、そのときの気分によって、読む本を選ぶことができるようになります。

僕はけっこう気分を大事にしています。なので、気分によっては読む本は変えたくなります。

「ある程度の時間」はつくらずに読む

「読書の時間」として、ある程度の時間を確保しようとしても、なかなかできないと思うんですね。

そうすると、ある程度の時間がつくれないから、今日は読まない、明日も読まない、週末まで読まない、みたいな感じで、どんどん先送りになっちゃうと思うんですね。

でも、逆に「時間がないから読む」という視点に立つと、けっこう読む時間が出てきます。

具体的には、電車で2駅分だけ読む、食器をあらったあと読む、寝る前の5分読むみたいな感じです。

「5分しかないから読まない」ではなく「5分しかないから読む」にすると、ほぼ毎日読む時間があるとなります。

さっきも書きましたが、ある程度の時間ってなかなか取れないと思うんですよね。でも、5分くらいなら毎日作れそうじゃないですか。

なので、スキマ時間こそ読むと考えると、ほぼ毎日、読む時間は存在する状態に、さまがわりします。

「最後まで読む」・・とは限らない

最後のポイントは「最後まで読む」とは限らないことです(笑)

いや、もちろん読みはじめは読もうと思って、スタートします。でも、2割くらい読んで、ちょっと違うかなと思ったら、読まないことをカジュアルに決断します。

逆に8割くらいまで読んでも、途中から気持ちが乗らなくなってきたら、そこでストップします。

8割まで読んだなら最後まで読もうよって気持ちもあるにはあります。だけど、それをやめたんですね。なぜかというと、理由は2つあります。

1.全部読むのは不可能

そもそも本って星の数ほどあるから、これまで出版されてきた本を全部読むのって不可能だなって、ある日思いました!

まあ全部読みたいわけじゃないですが、読みたいと思う本だけでも、絶対不可能だと思うんですよね。古典的名著と言われているものだけでも!って思っても無理だという。

そう考えると、読まない決断はお早めにってなりますよね。8割まで読んだとしても、もう気持ちが乗っていない状態で、残り2割を読むのは時間がもたいないなと。

もちろん読了することで、感じるなにかはあると思います。けれど、その1冊にこだわらず、すべての読書体験から感じるなにかと捉えると、残り2割に固執しなくても、トータルで考えるとその2割はスキップしちゃって良いなと思います。

またいつか読みたくなったら読もう(たいてい読まないけど(笑))という免罪符とともに、そこでストップします。

2.気持ち大事

本を読むは、能動的な行いなので、先にも書いた通り、気持ちが大事だと思うんですよね。

気持ちが乗らないと、能動的に読めない。読了することが目的化した無理やり読むという行いは、意味がないというか、ある意味、もはや読んでいないと一緒だなと感じます。

まとめ

まとめると、

・5冊同時読みで、気持ちで本をチョイス
・スキマ時間読みで、簡単に本にアクセス
・途中でもカジュアルに、本をクローズ

な感じですね!

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