「塩対応」と、震える指先と。レディー・ガガのエールはすべての人々に
取材対象とは、できることなら「プロとプロ」としてお付き合いができればと思っている。
ただ、彼我の差をカバーしきれないほど偉大な取材対象、というのも世の中にはたくさんいる。
もちろん、そういう取材機会をちょうだいして困ることなどない。ものすごく幸運なことだ。身震いしつつ、軽くは見られないようにと、必死に気を張ってことに臨む。
ただ多少気を張ったところで…というくらいのものを、実際の取材の中で見せつけられることもある。
その日、僕は取材をさせていただいたお礼を述べると同時に、思わずへたり込んでしまった。
今回は41歳にもなっていた当時の自分が、いまさらながらにそんな体験をした話をつづらせていただきたい。
2018年12月22日。僕はラスベガスの日本料理店にいた。
久々のご挨拶を兼ねた夕食。オーナーのナカノさんは、2014年までアメリカ転戦中の石川遼プロを食事面でサポートされていた。
「懐かしいね。一緒に遼のラウンドについて回っていたのが。試合中に遼が食べる分のおにぎり、塩ちゃんが食べちゃったりね」
「やめてください!冗談にしても人聞きが悪い」
「ところで、今回は何しに来たの?仕事なんでしょう?」
「はい、実は明日、レディー・ガガさんのインタビューで」
「えっ!!」
「LINE LIVE」は当時、レディー・ガガさん主演の映画とタイアップした企画を展開していた。
そのプロジェクトのプロデューサーである濱田雄司さんが、LINE NEWSにもガガさん本人を取材する機会をつくってくれたのだ。
ただ、彼はこう付け加えた。
「どれだけ取材できるかは、正直当日にならないとわからないそうです。単独のインタビューとなるとなおさらです。もちろん、全力は尽くしますが、最後まで確約はできないと思う。それでもいいですか?」
幸い、LINE NEWSには理解のある上長がいた。「単独取材は、できたらラッキーくらいの感じでOK」と背中を押してくれた。
ただやはり、アメリカまで取材に行くからには、きちんとしたアウトプットにしたかった。
ガガさんに取材の時間を取ってもらえるよう、プロデューサー濱田さんと「ストーリー」を練った。
主演映画の内容についてのインタビューなら、たくさんオファーがあるはず。それらと差別化をはかり、いかに「取材を受けてみてもいい」と思ってもらうか。
LINE LIVEによる映画タイアップ企画は、オンラインでの歌唱力コンテストだった。
課題曲はガガさんが劇中で歌う曲。そして優勝者は、ラスベガスでガガさん出演のミュージカルを鑑賞できることになっていた。
インタビュー企画の想定内容も、それに合わせたものにした。無名の若者にチャンスを与えるネットの力について、どう思うか。
これは彼女が語ってこそのテーマ。取材申請書ではそう強調した。
ガガさんこそ、無名の存在からスターになった代表格だ。映画でも、同じようなサクセスストーリーの主人公を演じている。
そして、SNSのいいところも、悪いところも身を持って知っている。知り尽くしている。
多忙を極めるガガさんが、日本から来た取材申請書に、わざわざ目を通してくれるとは考えにくかった。
ただそれでもやはり、全力を尽くすべき機会だと思った。できる限りのことをして、ラスベガス行きの飛行機に乗った。
ガガさんはラスベガスで、ミュージカル公演の準備をしていた。
統合型リゾート「パークMGM」内にある全5200席のシアターで、12月28日スタートの「エニグマ」のリハーサルを連日行っていた。
言うまでもなく、彼女はプロの中のプロだ。本番を前に、かなりの緊張感をもって準備しているという。
インタビュー取材の可否については、現地に入った後も先方から「まだなんとも言えない」という返答が届いていた。
インタビューとともに、取材企画のキモにしたかったのは、ガガさんに歌唱力コンテスト優勝者を引き合わせることだった。こちらについては、さらに厳しい回答だった。
「かなり難しいと思っていてほしい」
取材ができるとすれば、12月23日。その前日、22日はロケハンとして、パークMGMのシアターの周りを歩いて回った。
ただ、シアター内部には、一切入れなかった。ショーの内容が事前に漏れることを避けるため、厳戒態勢が敷かれていた。
何がどうなるのか…。
まったくわからないまま、僕たちは当日を迎えることになった。
当日。僕らは念入りなセキュリティーチェックを受け、ようやくシアターの中に入ることができた。
最短ルートで、あてがっていただいた控室へと通される。
「できるだけ出歩かないように」「部屋を出る際はスマホや撮影機器を持ち出さないように」とスタッフから念を押される。
その禁を破った日には…。相手はあまりにも大きすぎる存在だ。
強い圧力を感じたのは、僕だけではなかったのだろう。控室は重苦しい空気に支配された。
胃が痛くなってきた。
せめて、取材のチャンスを。そう願って、待ち続けた。
一度、トイレのために部屋を出ると、遠くからかすかに楽曲が聞こえてきた。つい立ち止まって、耳を澄ませた。
すると、遠くにいる大柄な警備員と目が合ってしまった。愛想笑いをして、トイレに駆け込むしかなかった。
しばらくすると、僕にお呼びがかかった。
インタビュー取材が許されたようだ。
にわかに心拍数が上がるのを感じる。ICレコーダーの残り容量、バッテリー量を二度見、三度見してから、スタッフに従って部屋を出た。
記事に使う写真としては、ガガさんのプロモーション側が撮影をしてくれるインタビュー動画のスクショを使ってほしいと言われていた。
安っぽい画作りをされてはかなわない、ということだろう。シアターのコンコースの一角には、しっかりとした取材用のセットがつくられていた。
プロユースのテレビカメラが2台。その先にはガガさんが座るであろう、背の高いディレクターズチェア。
そして彼女の席と向き合うように、もうひとつ同じ椅子が置かれていた。
ここに座って取材するのか…。
映り込む可能性のない場所まで、すべてが完璧に仕立てられていた。
馴れないディレクターズチェアに座って、取材内容について反芻する。
そうしていると、背後でカメラクルーがスッと腰を上げる気配がした。続いて、その場にいるスタッフ全員が身じろぎをする。
レディー・ガガだ。
コンコースをゆっくりと歩いてくる。
聞き手として、プロらしく。聞き手として、プロらしく。
脳裏で念仏のように唱えた。唱えすぎて、仏頂面になっていたかもしれない。
目の前のディレクターズチェアに座ったレディー・ガガは、いきなり僕に問いかけてきた。
「会えてうれしいです。お名前は?」
「ダイスケです」
「ダイケ?」
「いえ、ダイスケ」
「ええっと、ダイケ…」
発音しにくそうだったが、5回くらい繰り返してようやく「ダイスケ」になった。
「そう、ダイスケ」
「ダイスケ、ね!じゃあ、ダイスケ、よろしくお願いします」
ガガさんは、とにかく真っすぐに僕を見つめて話してくれた。
ほとんどの取材対象は、母国語が通じる通訳さんを見て話す。
ガガさんは違った。通訳にリズムを合わせつつも、終始僕を見つめて語りかけてきた。
大事なリハーサルの合間であることを、一切感じさせない。丁寧に言葉を選んで話す。当初予定していた時間をこえても、気にした様子もない。
夢を持って頑張る全ての人への思いやり、愛にあふれた言葉。その内容は、LINE NEWS上で公開した記事に譲るとして…
取材が終わると、ガガさんは立ち上がって、僕にハグをしてきた。
そもそもハグする習慣がない上に、驚いたこともある。かなりぎこちない動きになった。何もないところにつまずいてよろけた。
それを見て、ガガさんは「ああ、大丈夫?」と気遣う。
そしてこう言った。
「ありがとう、ダイケ」
結局ダイケかい!ではない。
5回も繰り返して、正確に名前を発音しようとした理由。
それは、取材終わりにきちんと礼を述べたいから、だった。
「こちらこそ、ありがとうございました」。僕はそう礼を返すのが精いっぱいだった。そしてインタビューブースをガガさんが出た瞬間、その場にへたり込んでしまった。
スポーツの世界では、トップアスリートを取材する機会にも恵まれた方だと思う。
だが、こんな気持ちになったことはなかった。
世界的なスーパースター。こうして取材を受ける機会など、数えきれないくらいあるだろう。そのたびごとにこうして真摯に対応するのか…。
周囲がざわついている。クスクスという笑い声を聞いて、僕は我に返った。
なんだろう。ブースを出て、そちらに向かってみた。
ガガさんが、コンコースの柱の陰に身を隠している。
口の前に人差し指を立て、こちらに向かって「シーッ!」と言う。
控室の方から、日本から一緒にやってきたコンテストの優勝者2人が歩いてきた。
ガガさんが隠れていることは知らされていないようだ。少し怪訝そうにしながら、スタッフにうながされて歩を進めている。
彼らに話しかけられでもしたら、本当に困ってしまったと思う。
幸いなことに、そうなる前に「X地点」へと2人は到達した。
「ワッ!」だったか。「バア!」だったか。
とにかく、ガガさんは2人の前に勢いよく飛び出した。
「会うのは難しい」と聞かされていた彼らにとって、文字通りのサプライズだった。ただただ目を丸くして、言葉を失っていた。
巨大なステージの中央には、ピアノが据え置かれていた。
そこで、ガガさんと2人のコンテスト優勝者が一緒に歌っている。
無人の客席の最上段から、僕はその様子を眺めていた。
隣に座る企画のプロデューサー・濱田雄司さんも、黙ってステージを見ている。
サプライズは、本人が突然現れただけでは終わらなかった。
感激して涙を流す2人を、ガガさんはシアターの中へといざなった。
スタンドの最上段から、通路となっている階段をどんどん降りていく。
最前列まで行くと、客席とステージとを分けている柵もまたいで越える。
そうやって、ステージ上にまで2人を連れていくと「一緒に歌いましょう」とピアノの弾き語りを始めたのだ。
示し合わせたように、バックバンドのメンバーもステージに集まりだした。重厚な演奏で場を盛り上げる。
「いったい、なんなんすかこれは」
無言だった濱田さんが、ようやくといった感じでつぶやく。
「ぜんぶ仕組んでた、ってことなんでしょうね」
そう。ガガさんは最初から、ここまでのサプライズを考えていた。
「公演前の歌手はナーバスだから気をつけろ」
「本人に会えるかは確約できない」
「インタビュー取材も最少限度で」
スタッフが事前に発していた、そうした冷たい言葉の理由も分かった気がした。
おそらく、日本からの来訪者を驚かせたい一心で、ガガさんは周囲にも「塩対応」を徹底させていたのだ。
控室に戻ると、スタッフがさっきまでとは別人のように、ニコニコと笑っている。
聞けば、ガガさんはこうしたサプライズの"常習犯"だという。
「一般のファンが相手でもそう。目の前の人を喜ばせずにはいられない。それが彼女です」
世界的なスーパースターを取材する。
またとない機会だと、誰でも思うだろう。僕だってそうだった。
並々ならぬ意気込みと、果てしなく大きな期待。
あらゆる取材対応で、ガガさんはそれらをぶつけられることになる。
応援するファンや、彼女に憧れて歌手になった人たちはなおさらだ。
コンテスト優勝者のうち、女性のシンガーの方は、サプライズで現れたガガさんに涙ながらに訴えていた。
「あなたが私に夢をくれたんです」
そうした強い思い入れ、愛情を終始受け止め続けるのには、ものすごくエネルギーがいるはずだ。目の前に現れるすべての人が「100%」をぶつけてくるのだから。
だが、ガガさんは100%の思いを、120%の力で打ち返す。
女性シンガーとは抱き合って一緒に泣いた。行きずりの記者の名前すらも「ダイケ?ダイケ?」と必死に覚えようとする。
その上で、巨大なシアターの真ん中で一緒に歌うようなサプライズまで準備する。その伏線のために、スタッフにも「塩対応」を徹底する。
これこそがスター。そう思った。
誰もが見上げる夜空で、誰が見上げた瞬間でも常に、強く輝き続ける。
これだけのものを見せつけられたのだ
やはりスターとは、生まれながらに選ばれしもの。僕はそんな思いを強くしていた。
だが、実際にガガさんと深く接したコンテスト優勝者の2人の考えは、少し違った。
日本への帰国便に乗り込む直前。
2人は「ガガさんも人なんですよね」とポツリと言った。
いったいどういうことなのか。聞いてみると、こう明かした。
「一緒に歌った時、最初の曲をピアノで弾き出す指先が、ガタガタと震えていたんですよ」
確かに、曲の冒頭を何度も弾き直す一幕はあった。
遠い客席からでは分からなかったが、その時ガガさんは2人にこう言ったのだという。
「ごめんなさい、とてもナーバスなの」
2人の期待に応えなければならない。
真摯にそう思うからこそ、プレッシャーを感じたのだろう。
そこにかえって、ガガさんの「本当の尊さ」を垣間見た気がした。
超人でも、機械でも、AIでもない。同じ人たる身で、世界的スターの務めを懸命に果たしている。
だからこそ、多くの人の共感を呼ぶ。ようやく、そう気づくことができた。
コンテスト優勝者の2人が「頑張ります」とつぶやく。
僭越ながら、僕も内心で同じように思った。
言うまでもなく、僕は歌手ではない。境遇はまったく違う。
だが自分も確かに、ガガさんに背中を押されていると感じる。
◇ ◇ ◇
人からの求めに応えようと頑張ることは尊い。
それがどんな立場、役目であっても一緒だ。
ガガさんは僕らに、そう教えてくれているように思う。
仕事が難しい局面を迎えた時には、いつもガガさんのことを思い出す。
僕も自分なりの形で、世の中のためにできることを、全力で頑張りたい。
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