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コロンビア 混乱の背景としての和平合意

コロンビアの混乱の背景を考えるときに思い出すのが、2017年1月末から始まった、反政府ゲリラFARC(コロンビア革命軍)兵士が、武装解除と社会復帰プログラムへの拠点となる場所に集合した時のことだ。

コロンビアでは2016年、半世紀に渡り対立した同国最大の反政府ゲリラFARCと政府の間で和平合意が結ばれ、国内武力紛争終結への大きな一歩を踏み出したとされた。

2016年の和平合意に基づいて、国内複数ヶ所に設けられた集合地に、国内各地に展開するFARC各部隊が集まったのが2017年1月末からだった。 

戦闘服をまとった1万人近い彼らが森の中から現れる様子は、武力紛争終結への強いイメージとして、大きく報道されていた。

その集合地には、ゲリラ構成員が市民社会復帰に向け勉強するための学校、医療施設、家、食堂など、彼らが長い時間生活することができる「町」を政府が用意することになっていた。

ゲリラと政府の合意のもとで、1月末から、国内複数ヶ所の「町」にゲリラが姿を表した。しかし、その多くの場所に、「町」はなかった。政府は「和平」への第一歩となる約束を守っていなかったのだ。律儀に姿を表したゲリラが、裏切られた格好になった。

冒頭の写真は、コロンビア南西部の「町」予定地。2017年2月上旬に撮影したもの。まだ更地だった。僕はこの時期、3ヶ所の「町」予定地を回ったが、一様に人が住める状態ではなかった。だから、FARCは「町」予定地周辺の地主にかけあい土地を借り、テントを張ってキャンプ生活を送っていた。

そこからの流れは、ひどいものだった。

一向に始まらない「社会復帰プログラム」。決められたスケジュールに基づき6月に武装解除が完了するものの、徐々に移住した「町」には仕事もなく、職業訓練や基礎教育のための学校も始まらない。ただそこにいるだけの生活を強いられていた。その後、この「町」から離れる構成員が増え出した。

「社会復帰プログラムに参加する元FARC構成員の55%が『プログラムと和平合意への失望』を理由に去った」と国連の和平監視団代表が話したのは、2017年11月のことだった。

翌2018年、前年に訪ねた町を再び訪ねた。
ある場所で、和平交渉のテーブルにもついていたFARC司令官のひとりである ”Pacho Chino”がいた。彼はその後、政治政党となったFARCの西部地区政治部門責任者をつとめていた。

名も無い僕に向かって彼は、農業プロジェクトの遅れなどを列挙しながら「政府は不誠実だ。約束違反が実に多い」といい、「彼らは卑怯だ」と言うのだった。その姿に、強い惨めさを感じた。当時、武装解除した元構成員が、各地で殺害されていた。犠牲者は、和平合意後の2年間で73人。その数は今も増え続けている。

「コロンビア和平」を考えるとき、政府に代表されるこの国の支配層の本音はどこにあったのかと、思う。そもそもFARCを対等な交渉相手とみていたのだろうか?

背景を考えるとき、先日ボゴタ在住のある方から、コロンビア社会の超極端な階級意識のことを教えていただいたとき、なんとなく腑に落ちた気になった。想像でしかないが。

その後、和平合意に基づく各プロセスは、頓挫しているものも少なくない。

武力紛争の大きな要因となっている社会格差解消のための「農村開発」や、そこに深く関連する、武装組織の資金源となってきた麻薬対策としての「合法作物への代替え計画」は、資金不足などを理由に止まってしまっているという。

そして、巨大組織のFARCがいなくなった土地では、その空白地帯を突いて、大小様々な違法組織が武器とともに侵入し、勢力圏を拡大している。

かつて紛争に直面していた人たちが、今も紛争の中で生活している。FARCが他の組織に変わっただけでなく、アクターが増えた分だけより問題が複雑化し、無秩序化していると聞く。

今コロンビアで起きている混乱の背景を考えるとき、和平合意前後でみた風景を強く思い出す。



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