見出し画像

高校時代の青春➀

(タイトルは迷ったが、やはり青春ということにしたい。
私は15歳から20歳までの青春を受験に投じたわけだが、それはそれで人生だと思う。中国でも科挙に身を投じて成功しなかった人は多数いたろうし、現代の科挙と言われた旧司法試験に合格できなかった法学部生も沢山いた。それに類する形で15歳から20歳までの青春を投じても東大文Iに合格できなかった。
だが、大学受験の良い点は資格試験ではないので、東大文Iに落ちても早稲田法には一浪で合格を貰えた。
早稲田法学部は早稲田では看板学部の一つでもあるし、早稲田法を出ていて得をしたこともある。岸田首相も文I落ちで早稲田法であるし。
なので高卒で苦しんでいるというわけでもないのでまだ振り返ることが可能な思い出であると言えるだろう。)


中学を卒業して春休みになった。
智辯和歌山に教科書を買いに行ったり、問題集が渡されたりした。
春休みにこなすワークは公立中学生にはやや発展的な課題だったように思う。例えば、教科書では取り扱わない三元方程式などである。

そして、入学式になった。
入学式の祝辞で、開口一番、藤田照清理事長兼校長はこう仰られた。
「諸君、大人ははっきり言わないが、私ははっきりいう。東大京大に行きなさい。そうすれば幸せな人生を送れる」
私はこれには面食らってしまった。
言っていることが進学塾そのものである。
一方で、智辯和歌山というスパルタ校に魂を売る代わりに東大法学部に入れるなら安いものだ、という考えもあったのも事実である。副校長のY先生は、「うちは中学生は3時間、高校生は5時間の家庭学習を義務付けているので履行してください」というお話もあった。
ここで勉強漬けの3年間を送る代わりになんとしても東大法学部に入るんだ、という気持ちを強くした。

智辯和歌山に入って一年生の頃は同じ中学出身のS君の家に誘いに行き、登校した。能開で同じだったT君やクラスメイトとなったR君も一緒になった。
R君は開業医の子弟で和歌山市内出身だが、開業に際して有田に引っ越してきたようだった。

智辯和歌山の編入、高入のことをこう呼ぶ、は70分授業が6限あった。午前中3限、午後3限である。授業が終わるころには17時を回っていた。まさに勉強が部活である。英語も数学も課題が多く、毎日課題をこなすためにかなりの家庭学習を強いられ、課題が終われば24時を回ることも珍しくなかった。勉強部とも言えるだろう。私たち、南方面に帰る生徒は少なく、南から通学しているというのはある種の連帯感を生んだ。
そして模試も多かった。
最初の高1の河合模試成績を公開したい。偏差値は全国偏差値である。

英語169/200 偏差値73.1 編入内順位38/90
数学169/200 偏差値69.5 編入内順位42/90
国語137/200 偏差値63.9 編入内順位26/90
総合偏差値68.8 編入内順位23/90
文系偏差値68.5 編入内順位11/22
判定
東大文一C
慶應法D
早稲田法C

10万人ほどが受験しており、1800番台で冊子に掲載された。
冊子掲載というのは嬉しいもので、自分の実力が知れた。
ちなみに掲載者数をカウントしたが、智辯和歌山の生徒270名が受験して、92名が掲載されていた。学年の1/3が掲載されるというのはなかなかの進学校なんだろうなと実感した。
少なくとも今までの公立中とは違っているんだろう。

続く




この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?