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仮面浪人時代の追憶(その5)

帰省から帰ると大学には通わず、バイト・麻雀・受験勉強に絞ることになった。このあたりから記憶があまりない。おそらく、バイト・麻雀・受験勉強という単調な日々が続き、記憶に残る出来事があまりなかったのだろう。

麻雀は一年生みんなでよく楽しんだ。K君というレスリング経験者の同期がいたが、「俺は染色家なんで」とよく言っていた。染め手が好きだったのである。一緒に仮面浪人をしていた早稲田のA先輩とはよく麻雀をした。可愛いがってもらったと思う。お父様が医師をされているイケメンであった。出身高校は私の母校を落ちて清風南海だった。A先輩が言うには、「神戸大に合格するより智辯和歌山に合格するほうが難しい」とのことだった。A先輩は一浪の後、京大理系に落ちて早稲田理工だった。今年は医学部を受けるらしい。他にもM君という仮面仲間ともよく麻雀をした。彼は和歌山の公立進学校出身でコミュ力が高い子だった。学力的に大阪府立大は厳しくなってきたようで、滋賀大経済を受けるらしい。そのようにみんなが麻雀をやりつつも受験に舵を切ってきた。私は文I前期一本に絞ろうと考えていた。

秋にある寮祭も終わり、いよいよ秋から冬へ。受験シーズンである。受験シーズンではいくつか模試を受けたが、印象に残っている模試は二つである。まず大きかったのは第二回東大実戦模試。私としては数学で一題完答があり、英国地歴ともに問題ない出来。これは文IもA判定だろうと思った。返却されたところ、秋の東大模試では自己ベストとなる文IB判定文IIA判定だった。文IIのA判定も初めてで、個人的にはこちらも嬉しかった。秋の東大実戦模試A判定は浪人と言えどもそれなりに合格率は高い。文IIなら憧れの東大生になれるのではないか、と思い、胸躍った。もう一つは代ゼミの第四回全国総合模試である。こちらは記述の英語が改心の出来であった。なんと記述模試にも関わらず、200点満点で180点台。偏差値は70台後半だった。偏差値の出方としては、駿台全国よりは出るが、全統記述よりはでにくい。しかも早めに解答を作成して途中退出してのものだった。学力のレベルアップをかなり感じた。英語は全国判定模試でも200点中180点台ではあったが、判定模試は駿台内でもそれほど扱いは大きくなく、代ゼミ模試でも偏差値70後半を取れたということは自信になった。代ゼミの講義はほぼ受けたことがなく、他流試合とも言えたからである。

普段の学習だが、寮の図書館で夜型で勉強していた。寮の夕食を食べてから、夜二時くらいまで勉強していた。高校同期で東大理I生のS君から、「夜型にすると損だぞ」と言われた。また、理I生はセンター試験は700点(当時は800点満点)超えがほとんどと聞いた。センター試験も侮らないようにということだった。また、寮の先輩の理IIから院生のSさんに「寮には仮面浪人で文Iに入った方もいたよ。今は裁判官をしている」と言われた。先輩がいるんだな、と感じ、気持ちは高鳴ってきた。

そして、いよいよセンター試験の時期になった。センター試験の会場は国領からはそこそこ近い府中の東京農工大に決まった。
人生最後の大学入試、結果を出そうと力を入れて臨むことになった。

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