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ショートショートその11『ネガティブ供養』

あんた、ここに来るのは初めてかい?
見ての通り、祭壇にはところ狭しと巾着袋が備えられ、祭壇の中央には男の写真。
ここは「ネガティブ供養」の会場さ。
ネガティブ供養とは聞き慣れない言葉だろう?
今からこのネガティブ供養について説明してあげよう。

2010年代に入り、ポジティブとネガティブの対立は熾烈を極め、徐々にネガティブがポジティブに押され始めた。
曰く、
「ため息をつくと幸せが逃げる」
「口に+と書いて叶うという字になる」
「あなたの口にした言葉であなたの未来が変わる」
などなど。
それは新たな宗教のように世間を席巻し始めた。

それと反比例して、
「疲れた」
「困った」
「嫌だ」
と口にすることが憚られ、そんなことを口にしようものなら非国民のような扱いをされ始めた。
それは、嫌煙運動で喫煙出来る場所が徐々に狭められ、喫煙者が肩身の狭い思いをするスピードをはるかに超え、蔓延していった。
ネガティブな感情の持ち主は、ネガティブな言葉を吐く場所を失い、社会の端の方に追いやられていった。

そこで、九州南部のとある街、つまり、この街のある男が立ち上がることになる。
根上淳三郎。
そう、あの祭壇の写真の男さ。
落語好きな根上淳三郎は、古典落語『堪忍袋』からヒントを得て、その名もズバリ「堪忍袋」を売り出した。
古典落語『堪忍袋』とは、愚痴を袋に吐き出しスッキリする、という噺だ。
「社会の潤滑油として微力ながら尽力したい」
とささやかな社会貢献のつもりで売り出した堪忍袋は、ネガティブの捌け口を求める人々の間で大ヒット。
増産に次ぐ増産で需要に追いつかない日々が続いた。

そこであるクレームが続出することになった。
「ネガティブで金儲けしやがって」
という類いのものではなく、
「溜まった堪忍袋をどうすればいいのか」
というものだった。
根上淳三郎はここまで堪忍袋がヒットするとは思っていなかったので、その処分方法について考えていなかったんだ。
古典落語『堪忍袋』では、パンパンに膨れ上がった堪忍袋が裂けた時、そこに溜まっていた愚痴などがワッと溢れ出す。
しかし、実際の堪忍袋はどうなるのか?
根上淳三郎は、自身が堪忍袋をいっぱいにして実験しようとしたが、思うようにネガティブが溜まらない。

そのうち、事件が起きた。
銀行強盗がパンパンの堪忍袋を凶器に、銀行に立て籠もったのさ。
これがピストルならそこにいる行員や客など、おそれおののいて銀行強盗の言いなりになっただろう。
しかし、持ってるのは堪忍袋だ。
見た目はパンパンになった巾着袋である。
巾着袋を手に、
「金を出せ! さもないとこの袋を破くぞ!」
と言ったところで、銀行強盗何するものぞ。
みな、とりあわない。
焦った銀行強盗、とうとう巾着袋を自ら破った。
溢れ出たネガティブがそこに居合わせた行員や客の、口や鼻や耳や毛穴から侵入していった。
その30分後、その銀行は廃墟と化していた。
ネガティブが侵入した行員や客がみな暴徒と化し、銀行の金を奪い合い、建物を破壊し、散っていったのさ。

ここで堪忍袋は世間のいかなる兵器よりも武器よりもドラッグよりも危険なものとなった。
堪忍袋を使用した犯罪が後を絶たなくなり、社会問題となった。
ネガティブは堪忍袋登場以前より更に危険な存在と認識されるようになった。
責任を感じた根上淳三郎は、まず山をひとつ買い取り、そこに重機で洞窟を掘った。
それと並行して、堪忍袋をひとつひとつ回収し、場合によっては買い取り、その洞窟に集めた。
堪忍袋はかつてのヒット商品だ、金はいくらでもある。
洞窟が堪忍袋でいっぱいになると、根上淳三郎は洞窟に蓋をしてその隙間にダイナマイトを仕込んだ。
点火。
ダイナマイトの爆発はネガティブの爆発を誘発し、山は木っ端微塵に吹き飛んだかと思うと、周囲に岩石を飛び散らせる隙も与えないがごとく、跡形もなく消えた。

ネガティブを集めて爆発させたところで、ネガティブがこの世から消えてなくなることはない。
ただ、犯罪の道具にすることも集めて爆発させることもなくなった。
でも、行き場を失ったネガティブをどうすればいいのか?
そこで始まったのが、このネガティブ供養だ。
犯罪や爆発といった物騒な手段ではなく、最初からこういうしめやかにネガティブを供養してあげればよかったんだ。
こうして全国、いや世界中からネガティブの詰まった堪忍袋が送られてきて、供養されていく。
あんたも拝んでいくかい?
この巾着袋にネガティブを詰めて、祭壇に置くだけさ。
供養料はこちらで預けるから。
金額?
気持ちで構わないさ。
もっとも、渋沢栄一や最低でも津田梅子を置いてく人が多いがね。

あんた、どんなネガティブを供養したんだい?
秘密?
そりゃそうだろう。
……え、根上淳三郎の冥福も祈っただって?
おい、冗談だろう?
根上淳三郎は生きてるさ。
ここの社長だぜ。
根上淳三郎はあの爆発で生き延びて、平たくなったこの地にこの斎場と、隣のショッピングモールを建てたのさ。
……なんで写真を飾ってるのか?
拝む対象がないと困るだろうってのが根上淳三郎の主張さ。
あの写真がパッケージされた「ネガティブレトルトカレー」があるが、お土産に買ってくかい?

【糸冬】

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