見出し画像

騙し合い

 私は視力が良くない。それだから、見間違いや読み間違いは仕方がないと思って諦めているが、問題はどうやらそれだけではないらしい。

「美人は三日見ると飽きる」とか「ブスは三日見ると慣れる」なんて、今の時代にあって例えて使うとはいえ、憚られそうなことわざがあるが、言ってしまえば騙し合いとでもいうのだろうか。

 これは目が慣れるというのか、脳が騙されるのだろう。これは強ち間違いではないと思ったのは、ブスを三日見ていて慣れたわけでも、美人を三日見ていて飽きたからでもない。

 自分の書いた原稿を読み返している時、誤字脱字がないかそれは厳しい目でチェックするのだが、どうしても一人では限界がある。

 そこで時折助けを求めて人に頼むのだが、それでも何箇所か間違いに気がついていない時がある。

 揃って目くじらを立てて文章をチェックするのだが、後で気がついた時、どうしてそこを見落としてしまったのか、散々見返したではないかと半ば呆れ果てて爆笑してしまった時があった。笑って済ませられるのは製本元へ発注をかける前までのことである。

 本当のところ、本になる前に阻止したいのだが、なぜ見つけられなかったのだろう。

 これに関して、私は正確に答えが出せないでいたのだが、その時、ふとこのことわざが頭に浮かんだのである。
 「飽きる」「慣れる」のは脳が視覚を騙していることに気づいたのである。

 決して注意力散漫という訳ではなく、目が文字に慣れてしまうのである。それに付け加えて脳が騙すのである。

 車を運転していて同じ景色ばかりが続くと、事故を起こしやすくなるという話を聞いたことがあるが、それも脳が視覚を騙しているからである。

 誤字脱字もなく、そして事故を起こすこともなく、脳に騙されないようにしたいものだが、そうはいかないのである。

 こんなことがあったものだから、ブス、いや、美人もやはり見慣れるということはあるのだなと、しみじみ思った次第である。

 やはり、ことわざは間違いではなかったらしい。
それが良いことなのか悪いことなのか、私には分からないが、そうやって自分に都合の良いように騙し騙されるから、どんなに辛いことがあっても人間は生きて行けるのかもしれない。
 
 時に都合よく騙されるのも、長生きの秘訣かもしれないと、まだまだ長生きしたい私はしょぼついた目をパチパチさせながら、開き直るしかないのかもしれないと思い直している。

 

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?