喪失ではなく未来へ繋ぐ力
昨日は、三浦春馬くんの月命日だった。
もう、この日に何か改まって書くということもなくなったが、一日遅れで今の思いを書いてみようと思う。
私が、今も文章を書き続ける理由は唯一つである。
それは、この二年間で言葉の持つ力というものを 、実体験として得ることが出来たからに外ならない。
2020年7月18日から毎日書き続けたメッセージ入りポストを2022年7月18日で終わりと、私はある時期から決めていた。
その毎日のインスタグラムでのポストを、一日だけ伸ばし7月19日に完結としたのは、何かを忘れているような気がしたからだった。
それは二年間、もしくはその期間のどこかの数ヶ月、いや数日でも自分の書いたものに、何かしか心を動かしてくれた人々への、私の思いを伝えるべきだというその思いが、たった一日だが完結を伸ばすこととなったのだった。
その時、また私は思ったことがあった。
それは、大切に思っていた人を亡くした喪失の日々と、どんな時も向き合い続けて来た自分にしか、辿り着けなかった境地、見ることの出来なかった風景、感じることの出来なかった心の移ろい、そして何より自分の今の整いつつあるこの思いは、やはり果てしない二年間と向き合い続けた自分が、間違いなく存在していた結果だったのだと思う自分がいたからだ。
巷の人々の中には、ちょっとおかしな方向へと動いて、そのままそこに留まってしまっているという人もいるが、大多数の人々は少しずつ回復への気持ちが心の中に芽生え始めている。
そこに、私の言葉が存在していたことを知り、私は恐縮なことだが光栄なことと思った。
彼への思いを、あらゆる手段、手法を用いて綴って来た日々は完結したが、私は人々が今も抱え続けているであろう喪失感、それを喪失のままそこに留まらず、未来へと繋げていかなければいけないと思い始めた。
彼がいなくなってしまったのは本当に残念なのだが、私がそのまま彼の三回忌を迎えたのを機に、書くことをやめてしまって良いのだろうかと思うようになった。
私の、毎日のポストの最終日のコメント欄に
『使命感で続けてきたのかどうか?』
という質問を投げかけて来た方がいたのだが、そう言えばまだ、その方に質問の答えを伝えていないままであったのを思い出した。
その答えを、今、伝えるとするならば、使命感が全くなかったという訳ではないが、やはり彼への思いがいちばんであった。しかし、その思いは今となっては私のひとりよがりだったように思うところもある。
本当の意味で、彼の死と、自分が書いて来た思いを考えた時、やはり私は彼を失った喪失のままでいてはいけない、未来へ繋ぐ力を今こそ彼の死を終わりではなく、始まりにしなければならないのだと思ったのだ。
何のために、私はこんなに悲しい思いをしたのか、彼がいなくなりました、けれど毎日書き続けて来て、自分の思いは整いました。
それで終わってしまって、果たして良いのだろうかと、ある時から自問自答するようになった。
幸いにして、私には文を書く力が人よりは幾分だけあるらしいことが二年がかりで分かった。
この力を、このまま自分の手で握り潰してしまうのは何だか違うような気がしたのだ。
悲しいことだが、この私の書く作業というのは 2020年のあの日から本格的に始まっている。
言い換えれば、この作業に取り組む体制を作ったのは私の意思も去ることながら、彼の死をなくしてはあり得なかったことだと、今も考えるとそれ以外に答えはないのだ。
その代償から、私の文を書く幾分の力というものを、自分の手で握り潰してはならないと、私は最近になってより強く思うようになった。
彼のことから離れた話題になるにしても、彼が私にまた書くことを、それによって誰かの心の中にホッとした何かを吹き込むことが出来ること。それを、私は何らかの形で続けていかなくてはいけないのだと思ったのだ。
二年間、一日も休まず書き続けて来たことで、次に自分は何をするべきかということを、導かれたようにこの場所へ辿り着いたような気がしている。
皆さんも、何かあの日以降ずっと続けて来たことがあるとしたら、是非それをやめることなく続けて頂きたいと、私は切に願っている。
喪失ではなく未来へ繋ぐ力に変えて。
【追記】
この記事は、私のインスタグラムのアカウントが抹殺される前に書いたものだ。 もう、皆さんとあの日々を共にした、私のインスタグラムは存在しない。私にはどうすることも出来なかった。諦めるしかないことだった。だから、もう私はインスタグラムに心血を注ぐということはもうしない。
2022年10月19日・書き下ろし。
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