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ツバメ

 この時期、普段よりも上を見ることが多い。別段、悲しいことがあり、歌の文句のように涙がこぼれないように、上を向いているわけではない。自分が空を飛べないものだから、空を自由に飛んでいるスズメやツバメに目が行く。

 スズメは我が家の庭先に一匹だけ群れから離れ、まるで秘密基地にでも遊びに来るように、我が家へふらりとやって来る。一際、甲高い声で鳴くものだから、すぐにいつものそれと分かる。「ははん、また来たな」忍び足で窓辺にもたれ、そっとカーテンを開け、一人、否、一匹、愉しげに鳴きながらピョンピョン跳び跳ねたり、飛んだりして遊んでいる姿をスズメに気づかれないように見るのは、至福のひとときである。

 ツバメもコンビニエンスストアや、よその家の軒下に巣を作っていると、立ち止まってじっと眺めずにはいられない。更には、どうして我が家にスズメは遊びに来ても、ツバメは巣を作りに来ないのだろうか、なんて、腕を組んで大真面目に考えたりしている。

 相変わらずバカだなぁと思いながら、ツバメのヒナが親鳥が運んでくるミミズや昆虫を、我先にと雁首揃えてチーチー鳴きながら、大きな口を開いている様を見ると、そんなことはすっかり忘れて、微笑ましいがどこか現実的なその姿をいつまでも眺めてしまうのである。

 昨日、野暮用でコンビニエンスストアに寄った。今年もツバメが去年と同じ軒下、同じ場所、同じ巣で子育てをしていたのを、以前来た時に見かけた。もう、巣立っただろうと、いささかセンチになったが、巣を見上げると一匹だけ、もう大人になったような一丁前な成りをしたツバメが巣から顔を出していた。

 用を済ませて外に出ると、いつものように再び巣を眺めた。さっきのツバメは表情ひとつ変えず、どこか遠くを見つめたままである。末っ子なのか、出来が悪いのか、不器用なのか、勇気がないのか、理由は分からないが、巣の中で身を潜めたまま微動だにしない。

 どうしたものだろうと暑い中、じっと突っ立ってツバメの巣を眺めていた私に、さっきレジで私を接客した店員が、ツカツカと歩いて来た。

「まだ、飛び立って行かないんですよ」

その店のオーナーらしき年嵩のその女性は、歩みを止めると、そう私に話し掛けた。

「大丈夫なんですかね」

「もうじきだと思うんですけどねぇ」

自分のことが話題に上がっているとは露知らず、ツバメは表情ひとつ変えず、相変わらずじっと遠くを見つめたままである。

「巣立たなければ巣立たないで心配ですし、巣立ったら巣立ったで寂しいですし、複雑ですね」

そのツバメを眺めながら、去年来たツバメの親戚だろうか、なんて考えながら私は答えたが、女性は頭を下げて礼を言うと、店の中へと入って行った。

 何度も顔を見かけている女性だったが、要件以外、話したことはなかった。キラリと光る眼鏡のレンズ越しにある目はどことなく鋭く、何となく私は好きになれなかったが、言葉を交わすとそんなことはなかった。やさしくツバメの成長を見守り、行く末を案ずる気のいい女性だった。

 今度、店を訪れる時には、私の誤解を解いたあのツバメも巣立っていることだろう。

 動物の話をした時に、その人の本性が見えるのかもしれない。そんなことを思った出来事だった。


2024年6月25日 書き下ろし







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