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上野由岐子選手を見て思い出す人

【7月の回想録】
~東京オリンピック2020~

昨年の今日は、東京オリンピック2020大会で日本がソフトボールで金メダルを獲得した日だった。

ソフトボールがオリンピック種目に戻されるまで13年待った、上野由岐子選手の気持ちを思うと胸が熱くなった瞬間だった。

彼女にとっては長い長い13年だっただろう。

そんな上野選手が躍動する姿を見て、私は同じスポーツ界で今から約100年前に彗星の如く登場し、数々の記録を打ち立てながらも若くして世を去った陸上選手の人見絹枝を思い出す。

人見絹枝といえば1928年、アムステルダムオリンピックでの女子800メートル走で銀メダルを獲得した日本人女性初のメダリストとして、その名は語り継がれてはいるが、2019年のNHK大河ドラマ『いだてん〜東京オリムピック噺〜』が放送されるまでは、若い世代やその親世代にもその存在を知る人は少なかったかもしれない。

話を元に戻すが、何故、上野選手を見て私が人見絹枝を思い出すかと言うと、競技と時代は違えどその身体的能力や風貌が少しばかり人見絹枝と重なって見えるからだ。

人見絹枝がもし、今の時代に生まれて来たとしても、現代の器具や方法で専門的なトレーニングを受けたら間違いなく世界と戦える、そんなスケールの大きい類稀なる肉体と身体能力を持った女子陸上選手だったと思うからだ。

当時は今よりも更に男尊女卑の凄まじい時代で、女が足を露に飛んだり跳ねたりすることを世間はよしとしなかった。むしろ軽蔑するかのような冷たい目で、そういったスポーツに真剣に取り組む女性に対して冷酷な世の中だった。

たとえオリンピックに出場しても、必ずメダルを獲って帰って来なければ今で言うバッシングの嵐に晒される。そんな意味では現代のオリンピック選手とは比べ物にならないくらい選手はプレッシャーとの戦いだった。

人見絹枝はまさにその国と国民のプレッシャーをその両肩に背負い、陸上競技というスポーツに生きた人だった。

上野選手を見ていて時代は違えど、規格外の選手が日本にも100年前に存在したということを私は一年前、その金メダル獲得の歓喜と共にかつて冷遇されていた、オリンピック女子アスリートの人見絹枝を密かに思い出していたのだった。

時代が違っていたら、人見絹枝も上野選手のようにその持てる力を思い切り出し切り、最高に輝けたのではないかと、そんなことを思ったりもした東京2020大会だった。


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