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ひまわりが咲いた

今年も、我が家に小さなひまわりが咲いた。

毎年、一輪目が咲くのを心待ちにしているのだが、先日、その可愛らしい姿をまた一年振りに見ることが出来た。

その全身で、そよ吹く風をいっぱいに受けて、ゆらゆらとしなやかに揺れているひまわりを、窓辺からそっと眺めているそれは、幸福で平和以外何者でもない。

私は、そのひまわりの姿や佇まいも好きなのだが、何より、ひまわりが持つ独特な甘い香りが、堪らなく好きである。

その香りは、薔薇のようにむせ返るようなものではなく、何に例えたら良いのだろうか。

鼻を近づけると甘い、食べ物で言うなればスイカのような匂いと言うか、何とも自己主張の少ないちょうどいい塩梅の匂いなのである。

自己主張と言えば、ひまわりは他の花にも増して、見た目は自己主張が強めな花であるように思う。存在感があると言うのが正しいかもしれない。そのためか、帳尻を合わせたようにその匂いは、甘く嫌味がない。

今年は、このひまわりが平和の象徴であるように位置付けられた年になった。それはウクライナのことがあったからだ。

まだ過去形で語れないことが残念なのだが、早く、一日も早くウクライナに平和をと願わずにはいられない。

四つ足の椅子や机のように、どこか一本がおかしくなるとバランスが保てなくなり、大きな歪みが発生するのと同じように、それは世界の国々に例えても言えることだ。

一つの国がおかしくなると、世界中の国がバランスを崩し始め、その歪みによって、人々の心も段々とおかしくなっていく。

口癖のようになってしまったが、今こそ想像力を働かせなければいけない。 何も行動を起こせないのであれば、せめて想像を働かせてどのような未来を形成するのが、人々を幸せにするのか、それを想像し考えるだけでも、未来は必ず変わると思う。

人の口と同じように、普段から思っていることは、ぽろっと何かの拍子に口をついて出る。
それと同じように、良いことを思っていればきっと、何かの拍子にその思いが行動となって、表れる日が来る筈だ。

行動を起こすのは、その時でも遅くはないと思う。人が何かを成す時は、役割やタイミングというものがある。そのタイミングを伺って、日々暮らしていればその時は必ず来る。

自分が非力な存在と嘆かず、想像力を働かせ『いつか』の出番に備えることもまた、大事なことではないのかと私は思う。

来年は、『ひまわりが咲いた』という報告だけが出来る世の中になっていますように。

2022年8月12日・書き下ろし。

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