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人生一〇〇時代

 ここ数年、人生一〇〇年時代と言われるようになった。翌々考えてみると、それは何て恐ろしいことだろうと私は正直なところ思ってしまう。

 たかだか三十年四十年生きただけでも非常に草臥れているというのに、これからどんどん体も自由が利かなくなって行くだろう中で、八十歳でも想像がつかないというのに、それよりも二十年も先の一〇〇年を生きるなんてことは、もう、未知の世界の話である。

 果たしてその頃、世の中がどうなっているのかすらも分からない。この地球温暖化で地球があるのかも分からない。日本は大丈夫か?世界は大丈夫か?今の二〇二三年の世界を取り巻く情勢を思うと心配で仕方がない。自分の五十年、六十年先の人生を考えられる余裕がないのが現状である。

 生活していけるだけのお金が必要であるし、多少なりとも人の手を借りるにしても、ある程度、自分で身の回りのことが出来る状態でなくてはならない。人の世の常である大切な人との別れを幾度となく耐え忍ぶだけの、強靭なメンタルがなければならない。それらを考えると、その全てをクリアして一〇〇年時代を謳歌している一〇〇歳の人がどれだけいるのかと思うと、それは非常に疑問なところである。

 健康寿命が一〇〇歳であればそれに越したことはない。しかし、大概の人は年齢と共に何かしら体のどこかに変調を来し、騙し騙しで何十年と痛みを抱えながら生き延びる人もいるが、その反面、致命的な病気に罹り、半年や一年であっという間に命を落とす人もいる。そうかと思えばギリギリのところで命だけは取り留めても後遺症に悩まされ、何十年と寝たきりで生活しなければならない人も世の中にはたくさんいる。そういう全ての人のケースを考えると、人生一〇〇年時代も考えものだと思うのが私の正直な感想である。

 そんな中でも医師の日野原重明先生や報道写真家の笹本恒子女史、名作映画『風と共に去りぬ』に出演したハリウッドスターのオリビア・デ・ハビランド、フランス映画界の名花・ダニエル・ダリュー等々、日本はもとより世界の著名人の中にも一〇〇歳になるまで、なった後も、元気に過ごしていた人は他にもたくさんいる。皆さんに共通して言えることは、それぞれの分野で活躍し、それぞれの役割を果たし、年齢を重ねても尚、自分の生きる価値というものを見出していたことである。

私が先日偶数目にした、草野仁さん司会の番組『名医が寄り添う!体若返りTV』で登場した理容師の箱石シツイさんも、そんな人々の中の一人だった。

 箱石シツイさんは一九十六年十一月十日生まれの一〇六歳。一九三六年六月に理容師免許を取得後、八十七年後の現在も予約制だが営業を続けている。月二、三人のお客さんだとは言うが、一人一回の散髪につき一時間立ちっぱなしである。シツイさんの一〇六歳という年齢を考えたら、それだけで驚異的なことである。STM- COMET検査での脳年齢は三十歳未満。足の筋肉量は十分な量があるという。

 シツイさんの生活に密着したVTRを観た専門医の分析では、食事のバランスが大変良いこと。自分で考えた医学的に理にかなったオリジナル体操を一日三十分。転倒に気をつけながらの五〇〇歩のウォーキング。世の中の動向に関心を持ち、新聞を声に出して読む。これらのことを毎日続けているということが、若さを、と言うよりは日々の健康を保っている要因になっているのだという。 

 そんなシツイさんは二十二歳の時結婚。二人の子供にも恵まれ理容店を営みながらささやかだが幸福な生活を送っていたが、時代は折しも太平洋戦争の只中。戦場へ赴いた夫は戦死。途方に暮れ一時は子供を道連れに一家心中も考えた程、シツイさんは絶望したという。
 しかし、結果的には夫の遺言となってしまった「子供を頼む」という言葉がシツイさんに再び生きる勇気を与えた。それから約八十年近く、女の細腕一本で理容師として二人の子供を育てながら、激動の戦後を生き抜いて来た。

 そんなシツイさんの現在の夢は、一〇七歳で世界最高齢の理容師としてギネスブックに載ることだという。

 シツイさんを見ていると、健康な肉体に健康な魂が宿り、健康な魂が宿るところに健康な肉体が存在する。そう思えてならない。

 こんな一〇〇歳人生なら希望も持てるが、果たして何の取り柄もない自分がこんな人生を送れるとは到底思えない。しかし、一〇〇歳時代という恐ろしい言葉を耳にした時、シツイさんのような人々の存在は大きな励みになり、勇気が湧く。

 結局のところ、どんな状態になろうとお迎えが来なければ生きていなければならないのが現状である。それが一〇〇歳を超えようと超えなかろうと、元気でいようといまいと、数字だけで言ったら結局はそういうことである。しかし、どうせなら健康で長生きはしたいと思う。人生一〇〇年時代は私にとっては恐怖であり、叶うことのなさそうなどこか他人事のような希望でもあるのだ。


         2023年4月5日・書き下ろし。


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