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【昭和のサラリーマン】 〜其の壱〜 入社

昭和39年(1964年)東京営業第一部工場第3課。
筆記試験さえ受かれば、面接にはなぜか自信があった。
大学3年でサブ、4年で正マネージャーを務めたからだと思う。
部員数約150名だったが、試合・合宿等諸事こなし。また、先輩への諸案内をする中で、対人関係の勉強ができた。

面接の数日前に合宿の打ち合わせで、仙台行きとなり面接日の前日、夜行列車で帰京ということになった。
面接対応の問答集は持参した。しかし、生まれて初めて寝台車に乗ったので、狭さと、珍しさでほとんど読めなかった。
「生まれてからのすべてが対象になるのであれば、付け焼刃は無駄」
と腹を決め、睡眠をとることに集中した。

3人の面接官にあれこれ聞かれたが、
「学部は?」という質問に対して
「剣道部」で通した。
「真面目に答えろ」と注意されたが
「答えて専門的な質問をされたら自信がないので・・・」
と答えたら、笑われた。
いい時代だったと思う。

「失礼します」と挨拶し出口に向かう際、今まで歩いたことのないほどの厚さの絨毯だったため、つま先がひっかかり扉をつかんだまま外に飛び出してしまった。
入口にO先輩がいらっしゃり、驚かれた。

受験のきっかけは大学剣道部の14期先輩のO先輩だった。
S社にはすでに2人の先輩が入社しておられたが、いずれもO先輩の声掛けによるものであった。
最初が大将。次が副将の後だったのでマネージャー体験が認められたのだろうか?


〜続〜

著:近藤正輝 写真:近藤大介


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