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身近なリーダー:リーダーは押しつけ?

前回「死んだ後もリーダー?」、芸術家の例をあげて、思いが伝わるのであれば死んだ後もリーダーシップを発揮できると書きました。今回は、身近にリーダーシップを発揮している人がいたので、紹介しながら、自分が考えるリーダーシップを描きたいと思います。結論めいたことを先に書くと、リーダーシップは押しつけがましく、また、合意形成ではないといったところです。見出し画像はFreepikの画像です。Designed by Freepik

当研究室の大学院学生であるNくんはジャズ研のメンバーでした。以前リーダーシップの話をした時に、Nくんはサークルの部長やキャプテンのようなポジションにある人は「こういうリーダーであるべき」といった思いがあるようでした。これに対し、「それはマネジメントであってリーダーシップではないのでは」という思いがありましたが、それ以降はリーダーシップの話しもなく、そのままになっていました。

さて、少し前のことです。ゼミが終って後に雑談をしていたら、たまたまジャズ研の話しになって、以前から疑問に思っていた「Nくん自身はどういう行動をとったのか」を聞いてみました。まず、Nくんが思い描くジャズ研は、「ジャズが好きな人が集っていって、その魅力を他の人にも伝えていくようなところ」だそうです。しかし、現実には「吹奏楽の体育会系的なノリはイヤだけど何か音楽にかかわっていたい、別にジャズでなくてもいいよ」という人たちが多かったそうで、一つの方向を向いている感じがなかったようです。

このような雰囲気を変えたかったNくんは、部長などの執行部をやる学年になった時に、同学年の執行部の部長たちに「リーダーは方向を示して欲しい」という思いを伝えますが、残念ながらそのような方向にはならなかったそうです。

しかし、諦めの悪いNくん。同学年の空気を変えるのは無理だと思ったものの、じゃあ、新入生にアプローチしようと思ったそうです。面白いことに、直接「ジャズ研ってこうあるべきだよね」と説明するのではなく、「このCDいいよ、このバンドいいよ」といった具合に、ある種の洗脳をしていきました。

その甲斐あって、研究会の雰囲気は変わっていき、Nくんが思うジャズ研に近くなっていきました。強制参加ではない(これは近隣の大学では珍しいそうです)ビッグバンドへたくさん参加してくれて、しかも、練習も強制ではないのにみんな自主的に練習し、技術的にも近隣のJazz研に負けないくらい上達しました。

この話を聞いてNくんに「それはNくんがリーダーシップを発揮したってことだね。自主的な思いが元に動くのがリーダーシップで、任命される部長にリーダーシップを期待するのは違うよ。例えば、無理に絵を描け、音楽を作れというようなものだよ」と言いました。Nくんは、部長など特定の地位やポジションにある人にリーダーシップを期待していましたが、それはある意味他人まかせといえます。しかし、部長が期待に応えてくれないと悟った後のNくんの一連の行動はまさにリーダーシップだと思います。

しかし、本人によると「ヒール役」だったそうです。リーダーシップは現状のままではダメだという思いから発生することが多いため、「現状」から見ると最初は「悪」に見えるかもしれません。言い方をかえると、リーダーシップは目的を新たに提示するもので、マネジメントは目的を達成するための手段です。部長などが行うマネジメントは現状の目的が前提なので、これを壊そうとするリーダーシップとは根本的に相性が悪いのでしょう。

また、CDなどを薦めるところからも分かるように、リーダーシップはある種の押しつけです。論理的に正しいから説得するのではなく、ある種の思いを伝えていく行動なのでロジカルではありません。また、合意形成でもありません。まわりが賛成してくれたら、非常に心づよいと思いますが、「ヒール役」となってもその方向に進んでいったNくんは(この件に関しては)すばらしいリーダーだったと思います。

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