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自炊塾が生まれたキッカケ:閃きとリーダーシップの関係

前回は、リーダーシップを発揮するNくんが「ヒール役だった」と言ってたことを書きました。一般にリーダーシップは新たな目的(ビジョン)を示す行動なので、変化を嫌う我々は基本的に反対します。では、なぜヒール役になってまでリーダーシップを発揮しようとするのでしょうか。私は、「これだ!」という閃きや「伝えたい!」という思いなど、システム1で認知したものは人に伝えずにいられないのではないかと思っています。今回は、リーダーの原動力を、身近なリーダーシップの例から見ていきます。

自炊塾とは

今回の例は、「持続可能な社会のための決断科学センター」の同僚でもある比良松道一先生です。先生は、九州大学で通称「自炊塾」という講義を開講しています。
シラバス:「自炊塾」基礎編
シラバス:「自炊塾」応用編

学生の人気も相当で、多い時には定員の5倍の希望者が受講希望するそうです。またメディアでもよく取り上げられています。例えば、「定員の5倍が殺到! 九州大学で大人気の授業とは」(AERA)や「九州大学の「自炊塾」<上>」(西日本新聞)をご覧下さい。

上のシラバスから受講条件の一部を抜き出すと
・ 期間中に20回以上(基礎と応用を通じて40回以上)の自炊をこなすこと。
・ 毎週水曜日の昼休みに伊都キャンパス内で実施する一品持ち寄り「弁当の日」に参加すること。
・ 学校休業日(土日、祝日)や放課後を利用して実施される調理授業、セミナー、講演等に少なくとも2回以上参加すること。
とあり、決して楽な講義ではありません。しかし、多くの学生はこの講義で着実に変わります。つまり、行動変容を起こす講義なのです。知識詰め込み型の講義では、試験が終ったら全部忘れるということも多い中、先生が持つ「こうなってもらいたい」というイメージが、行動を変えるというところまで伝わっており、まさしくリーダーシップを発揮している例だと思います。

自炊塾を始めるキッカケ

しかし、自炊は大学で教えることではないといった批判もあったそうです。また、そもそも比良松先生は料理の専門家ではなく、得意でもなかったそうです。では、なぜ、そんな比良松先生が自炊塾を開講することになったのか、先生に直接尋ねたところ、ある種の閃きというか「これだ!」と思う瞬間があったそうです。

先生の専門は園芸で、簡単に言うと品種改良の研究をしていたそうです。品種改良の目的の一つは農家の方々の負担を減らすことです。ただ、県の農業試験場に赴任して、現場の様子が見えるようになると、優れた品種を提供するだけでは日本の農業は持続できないと痛感し、もっと広い枠組みで捉えないといけないと考え始めたそうです。その後、大学に戻り、生物多様性や絶滅危惧種に配慮した環境保全型農業等を扱う授業に関わり始めたそうです。

このような取り組みを始めて何年かたったある日、先生の授業を受けた学生さんが「先生、こんなイベントがあるそうですよ」と「弁当の日」を教えてくれたそうです。弁当の日は、小学校の校長だった竹下先生が提唱した運動で、小学校高学年の児童が自分で弁当を作る日を設けるというものです。比良松先生は、学生さんたちと「弁当の日」を経験してみて「これだ!」と思ったそうです。最終的に農業の成果は消費者に届くわけですが、「弁当の日」で消費者側の意識が変えられると思ったのではないでしょうか。このインスピレーションにささえられ、すでに10年以上、この取り組みをやってきて、いまでは大学だけでなく、全国各地の学校や企業、自治体等に講演会で自炊の大切さを伝えています。

一歩を踏み出すメカニズム

いままでのリーダーシップ論は、主に「どのような人がリーダーか」、「どういう時にどんな行動をとればよいのか」といったことを説明するものの、「なぜ、こんな自分にはできそうもないことをしたのか?」を説明してくれません。「嫌われそう」、「失敗しそう」など、リーダーシップをとることを怯ませるものはたくさんあります。そこまでなくても、例えば「面倒くさい」と思ってしまうことも多いでしょう。「自分は園芸が専門だから」とやらない理由を探せばいくらでもあります。教師の例でいうと、「最近の学生は...」といって、相手側のせいにして、伝えることをやめるというのもよくありそうです。このような困難を越えるのが「これだ!」という思いだというわけです。

比良松先生は「料理なんてほとんどしなかったけど、まず自分が変わる必要があるんじゃないかと思った」といった趣旨のことをおっしゃって、これが特に心に残っています。他人を変えるのがリーダーシップですが、実は多くの場合、「嫌われそう」などと怯む自分をまず変える必要があるのです。つまり、リーダーシップはリーダーの成長の過程でもあり、最初からリーダーだったわけではないのです

システム1で見えたことは、まだ実現していなくても当然のことのように思えます。そのため、これを実現したとしても、たいしたことはしていないという気になります。優れたリーダーであっても、「いや、当たり前のことをしただけです」というように謙遜とも思える言葉がでてくるのは、ある意味あたり前なのです。スティーブ・ジョブズはインタビューで『何かを成した人に、なぜそんなすごいことができたのかと尋いても、きかれた側はちょっとバツが悪い感じがします。というのも、彼らは単に見えただけだからです。見えたものは、しばらくしたら、当たり前のように見えます』と言っており、この「見えた」はシステム1の認知を指していると思うわけです。

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