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日々のなかで。

きのう、登校中に「きょう、いくわ」と言った子は、来ませんでした。他に何か用事があったのか、そもそも忘れていたのか、また今度でいいかと思ったのかわかりませんが、ぼくも古民家をあけているとき、その子が来ないなと、朝にした彼とのおしゃべりを思い出さなかったので、お互いそんなものなんでしょう。気楽でいいこと。

古民家にきのうは、ふだんは来ない人たちがやってきました。一人は、むかーしの職場で一緒だった人。もう一人は、以前にふらっと立ち寄ってくださった方。そして活動を応援してくれている方(というか、すごく気のおけないおしゃべりができる方)。

その方たちとのおしゃべりが楽しくって、きのうはこどもたちが来てもずっと喋っていました。彼らも来て、ぼくとあいさつ程度のやりとりはするけれど、その後は彼らどおしで遊んでいます。そして、18時になると、ぞろぞろと帰っていきます。

まあ、いいじゃんボクもしたいことするし、彼らもここでしたいようにしたらいいんだよ。子どもの居場所づくりと呼ばれるような活動ですが、常にこどもたちのためとか思っているわけではないんです。彼らが自由にすごす場にするには、開けているボクもある程度したいように過ごせないとなあと思うのです。

みなさんいろいろ持ってきてくれます。おかしに、ラーメンにカルピスにスイカ。冷蔵庫は楽しいことになっています。カルピスは以前いらしたときに、そこにいた子たちが、カルピスのみたい!と言っていたのを覚えてくださっていたようです。2本あるので、1本ずつこどもたちに渡していこう。あと、きょうは夜まで開ける日なので、まるまる1個のスイカを子どもたちと食べようかな。

こどもたちのことを思ってくださる方がいる。自分一人でなんでもやっているわけでないんですよね。あたりまえのことに、余裕をなくし思えなくなっているのかもしれないです。

活動として何かをすることでなくても、日々のなかに子どものことを思って、彼らの時間がすこしでも楽しくなればと思ってくれる方がいると思っていいんだろうな、それはとても嬉しいことだし、何を自惚れているんだと自分を戒めてくれます。

古民家からの帰り道

ぼくが食べたいものを食べて、読みたいものを読むために使います!