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マグロと僕の物語 #2 〜因縁というか、縁-前半〜

時は遡り、13年前の僕とマグロの繋がりから話はスタートします。

当時岡山に勤務していた僕は、鳥取沖の釣りによく通ったのだが、そこの船長は素人の僕に手取り足取り様々なことを教えてくれた。 船長は、ぶっきらぼうで、お世辞にも丁寧ではなかったが、釣りへの情熱と探求心は人一倍熱く、大きな魚が釣れていると聞けば、山口、高知、九州、、、それに海外まで自分の客を連れてどこ迄も遠征するような根っからの釣りバカだった。

いつしか僕も、船長の引率で九州迄行くようになった。平日の夜中に出発して、私は岡山から、船長チームは鳥取から。深夜に広島のSAで合流し、明け方に博多に到着、そのまま一日長崎 沖で釣りをして、その日の晩には帰って明け方到着でそのまま仕事をする、そんな日々もへっちゃらだった。若かった。

鰤を釣り,平政を釣り、そしてターゲットは、どんどん大きなものへと、クロマグロへと向かっていった。

何度目かの九州遠征で、船長の友人だった船に乗船し、マグロを狙った。初めてだった。
マグロが跳ねなければ始まらない、そして跳ねずに終わってしまう日もある。そんなふうに聞いていた僕にもわかるくらい、その日はスルメを追ってマグロがよく跳ねていた。

そこで、事は起こった。
僕は船の前の方、いわゆるミヨシの中央あたりにいて、何も持っていなかった。
左舷9時の方向でマグロが跳ね、船は急旋回。
横波を超えたタイミングで僕は2mほど跳ね上がり、次の波で船のミヨシが上がってきたところで着地。僕は両脚で着地したが落下と突き上げで僕の腰はぎっくり腰になった、、
と思った。

船尾で息絶え絶えに横になっていた僕は、こんなチャンスの日に釣りができない悔しさと痛みに悶々としていた。
しかし、おかしい。
痛みが悔しさを覆い尽くす。痛い。痛い、、痛い。とうとう僕は言った。

「ごめん、病院に連れて行ってほしい」

こんな状況の良い日に皆の時間を割いてしまう申し訳なさに僕は泣いた。情けない。申し訳ない。

港から民宿の親父のバンに乗せられ、壱岐市民病院に辿りついた僕はそのままCTをとった。

そこで見たものは、
見るも無惨に3つに割れた僕の腰椎。
医師は僕の脚をなん度もさすり、つねり、たたき、感覚はあるか?と何度も聞いた。不幸中の幸いで、神経には触れていなかった。

診断はL2,L3腰椎破裂骨折、完治まで3-6ヶ月。絶対安静だった。

話は続きます。

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