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マグロと僕の物語 #6 〜遂に海に立つ、師匠の船で〜

23年、もう同じ轍は踏むまいと考えていた僕は7月の1週目、4日に予約を取ることにした。
どれだけ規制がかかりそうでも、この日なら100%大丈夫。そして魚はやはり丹後方面で釣れている。
僕は満を持して鳥取の師匠に連絡した。
師匠は「わかった、4時半出船,この日はイカの予約はとらない。日が暮れるまでやる」と気合を見せた。
僕もそれに応えるべく、その日に合わせ身体を作った。

当日は最高の凪。

遂に、遂に、舞台に上がった。
僕が船のルアー釣りを始めた鳥取。
何より、師匠の船。
怖いくらいに舞台は整った。

いざ。

出船して15分でマグロが跳ねる。目測70-80kg。
投げられるような距離ではない。
魚はいる。
しばし魚を探してクルージング。

8:00
チャンスが来た。

80-120kgほどのマグロが小魚を捕食している。
届くところまで距離を詰め、ルアーを投げる。

捕食している渦の中に入る。
ルアーを信じて動かさずに止める。
1秒.2秒...5秒...

ザバっと横から食った。デカい!

糸が150mほど出される。
投げた距離50mから考えると、残り100m。
止まった。さぁ、やるぞ。

なんとか魚をこちらに向かそうと竿を立てるが、戻すときにリールのハンドルを回せない事もしばしば。
魚が重すぎる。

「だいすけぇ、やってしまったかもしれんなぁ〜70(キロ)くらいだったらもうあがっとるわー」

「だいすけのパワーはもうほとんど残っていないのであった」

笑いと共にゲキが飛ぶ。

一進一退。。。
50mほどまで詰めてはまた6-70m走られる。
繰り返す。いや、繰り返させられる。

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30分ほどやって、
40mくらいに詰めたところでマグロは左舷に走り、
また150mでた。

大丈夫だ。身体はまだ、いける。


はずだった。

マグロが止まって、
さぁもう一度,と思って竿を引いた瞬間、


糸が切れた。

くそぉおおおおおおお!!!!!!!!!


この瞬間の為に4年身体を作ってきた。
この瞬間の為に3年間待ち続けた。

それでも、まだ遠い。これが3桁の壁。


マグロは跳ねなくなった。

またか。。。またかよ!!!まだなのかよ!!

船長は言った。
「いや、絶対また跳ねる、ここで待つ。」

とにかく待った。
鳥を探した。
ちょっと寝た。

時は過ぎ、夕方になり、鳥が騒がしくなってきた。

18:30
師匠の読み通り、跳ねた。。
それも凄まじい数が。

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そして!!!

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たった、たった1m。

あのときに竿を立てられなかった、曲げられなかった。
下船時、師匠に握手を求めた。

「お、力強くなったなぁ」

相変わらず師匠は笑っていた。
なんだこの複雑な感情は。。。少し認められた感じがする嬉しさも、こっ恥ずかしさも、悔しさが覆い尽くす。


くやしぃ!!!!終われない!

「8月にまた来ます」と伝え、
帰国後1ヶ月、足りない部分を死ぬほどトレーニングした。

その時のメモ

そして8月僕はまた日本に帰ってきた。
けれども、もうマグロは山陰を離れつつあった。
それでも、一縷の望みにかけ、僕は鳥取に向かった。

「ダメだ、その海域までは行けない。」

師匠の言葉に、僕は観念した。

今年は終わった。

そして10月、今年のマグロを一度は諦めた僕はプロローグの通りロンピンでバショウカジキを釣っていのだった。

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