作家が描いたコーチの対話〜 「白い巨塔」山崎豊子
私は小説を読むことが好きです。大学生の頃からコツコツ読み進めてきました。小説が新聞や新書の文章と異なるのは、登場人物同士の会話によって成立していることです。
コーチングとは、対話をすることです。小説に出てくるやりとりには、コーチングにも参考になるものがきっとあるでしょう。コーチングにはいくつかの基本となるスキルがあるので、それと照らし合わせながら紹介していきたいと思います。
1回目は私の大好きな山崎豊子さんの代表作「白い巨塔」からです。
内科医で冷静沈着な里見脩二が、気品がありつつも乙女のような純真さをもち合わせる東佐枝子と肩を並べて川辺の道を歩いている場面です。佐枝子は、研究熱心でひたむきに医学に打ち込む里見にひそかな恋心を抱いています。あるがん患者を診察をめぐるいざこざに巻き込まれ心身を疲労している里見に、佐枝子がねぎらいを込めてかけた一言です。
佐枝子「・・・それに今度の場合は、里見さんがそこまで疑問を持ち、追究して行かれた段階で、財前さんが一つの狙いをつけて透視され、エックス線撮影をなさったわけで、もし、最初からその患者さんが財前さんのところへ廻っていた場合は、もしかしたら見逃されていたかもしれませんわ、でも、私、そんなことより、患者に対して、そこまで真摯な厳しさを持って立ち向かっておられる里見先生のお心にうたれました」
と云い、佐枝子は潤むような瞳で里見を見上げた。里見はそれに応えず、眩しそうに眼を逸らせたが、その眼の中にかすかな波だちのようなものがあった。
白い巨塔(2)、p289,290
この場面で佐枝子の眼差しは、患者にがんの疑いがあると見抜いた里見の医学的な技量ではなく、命を救うべく一途に患者と向き合う里見の心そのものに向かっています。表面上の功績は患者にがんの疑いがあると見抜いたことですが、佐枝子は里見自身の存在そのものを讃え、慕っているのです。
表に現れているもの→がんの疑いがあると見抜いたこと
佐枝子のまなざし→患者を救おうとする里見のひたむきな姿
その人自身の姿を捉えて伝えることを、コーチングでは「認知」と言います。コーチが認知するのは、表に現れた行動ではなく、その行動を起こさせた力の源がなんなのかといことです。人は認知されると、誰かが見守ってくれる心強さと歓びを感じます。
ここの場面では佐枝子に認知された里見は、すぐ言葉を返さなかったものの「眼の中にはかすかな波だち」が起きたと描かれます。麗人の佐枝子から認知されることで常に冷静な里見といえども心深くに揺らぎが起きたのでしょう。
私はこうした山崎豊子さんのこまやかな心理描写にいくどとなく心酔してきました。山崎さんは社会派小説家と見られがちですが、ぼくはむしろこうした何気なくも磨き抜かれた人物描写にこそ山崎さんの凄味を感じます。
ちなみに、里見は妻子持ちの身です。その里見にアプローチしている佐枝子の後先省みない危うさもこの場面を印象的にさせていると私は感じます。
認知のスキルは人との関係を深めていくために有用なものだと思います。難しいものではなく、意識することで誰でもできるようになります。私のHPでも紹介していますので、ご参考にしてみてください。
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