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言葉は思い遣りであり重い槍でもある

幼い頃から何度も何度も両親から言われてきた言葉である。

一度口にした言葉には責任を持ちなさい。

誰かを傷つける発言はしないように。

良かれと思って口にした言葉が時に人を傷つけることがあることを肝に銘じなさい。

と幼い頃から口酸っぱく言われ、人との縁、コミュニケーションをとにかく大切にするようにと育ってきた。
思春期の時の私は「うるさい!わかってるよ!」と幾度も反抗したものだ。

何故ここまで口うるさく言われなければならないのか。言われなくてもわかっているのに。

当時はこんなことを常に考え、母親のことを疎ましく思っていたこともあったが、20歳を過ぎた頃には少しずつ両親の言葉の意味が理解できるようになり、今では心から感謝している。

言葉は思い遣りであり重い槍でもある

こんな金言を幼い時から私に授けてくれたのである。自慢の両親だ。

普段、大らかな父も言葉遣いのことになると、厳しくなり、私が汚い言葉を使う度、仏の顔を鬼に変え、厳しい口調で注意されたのを覚えている。

話は変わるが、私にサッカーの楽しさ、奥深さを教えてくれたのは父である。

父は無類のサッカー好きで、話し出すとキリがない。私が実家に帰ると嬉しそうにヴァンフォーレの話やJリーグの話をする。(弟と母親がほぼ無関心なため)

つい先日、試合観戦のために実家に帰った時にふと父がこう言った。

最近の小瀬は野次が減ったよな。

考えてみると、私が甲府を応援し始めた2000年代後半と比較すると明らかに野次を飛ばしたり罵声を飛ばしたりする人は減ったように感じる。

途中、部活動が忙しくなったり、進学で県外に出たりして試合にほとんど行けない時期があったが、きっと気のせいではないはずだ。

確かにそうかもね。でも最近はネットでの書き込みとかSNSでの誹謗中傷がやばいと思う。」

咄嗟に私はそう父に返した。

最近、X(旧Twitter)上で見たくないものを見にする機会が増えたように感じる。

サポーター同士のいざこざ、食い違う主張のぶつかり、到底容認できない暴言や暴論、特定の人物への攻撃的なツイート、、

Xは確かに、自分の主張を表明したり、異なる価値観の人と討論したりする場であるとは思う。

そこから有益な情報を得たり、似たような考えを持つ人と親しくなったり、少し大袈裟かもしれないが人生を大きく変えるような影響を受けたり、出会いがあったりするかもしれない。

ただ、それは適切な使い方ができればの話である。感情のコントロールができず、感情的なまました投稿が意図しない形で相手に伝わり、大きな炎となってしまう。

所謂ところの「炎上」である。

私には関係ないと思う方も多いかもしれない。
でも、炎上は誰にでも起き得る可能性があるものなのだ。再三再四、表現に気をつけて投稿したものでも重箱の隅をつつくように表現の虚をつかれ、意図しない形で自分の表現が相手に伝わってしまうこともある。

無論、私が綴ったこの記事も炎上する可能性を孕んでいる。

言葉はそれだけ深く、重いものなのである。

SNSは、自分の思いの丈を気軽に発信できる便利なものである。しかし、使い方を誤ってしまうと鋭く重い槍となって他人の心に深く突き刺さり、致命傷を与えるものである。

ポストを投稿する前に今一度考えてほしい。
このツイートを読んでフォロワーは何を思うだろうか。どういう感情を抱くだろうか。

独り言のように呟いた投稿かもしれないが、攻撃的だと捉えられ、嫌な思いをする可能性だってある。選手に対するポストが選手の目に入る可能性だってある。公開アカウントでポストしている以上、自覚し、責任を持って投稿しなければならないと私は考える。

アルビレックス新潟からサンフレッチェ広島に移籍した新井直人選手への誹謗中傷に対するクラブからの声明がつい先ほど発表された。

今や時代はSNS時代。知りたい情報も知りたくない情報も目に入ってくるのが常だ。
今の若い世代は小学生の時からスマホを持ってる子も少なくない。

だからこそ、自分の胸に手を当ててしっかりと考えてほしい。

適切なSNSの使い方ができているだろうか。

受け取り手を意識した投稿ができているだろうか

何をクソガキが偉そうにと思うかもしれない。
いや、思っていただいて別に構わないと私は思っている。
偉そうに語れる立派な人物では私は一切ない。

でも、昔から自分の口から発する言葉や、綴る時の言葉には人一倍注意を払って生きてきた自負が私にはある。
この記事を読んで少しでも言葉や表現について1人でも多くの方が考えるきっかけになればと思っている。

読み手によって受け取り方が違い、考えが違うのが表現の難しいところでもあり、面白いところでもある。

その難しさを理解し、面白さを共有できたらXでのサポ感の交流が今以上に有意義なものになるのではないだろうか。

言葉は思い遣りであり重い槍でもある

私もまだまだ未熟だが、自分の言葉で人を元気にさせたり、救ったりできるような人間になりたいと思う。

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