図書館での邂逅ー風呂敷の魅力、実感
【気付き】図書館での邂逅ー風呂敷の魅力、実感
地域の図書館は、生涯学習の拠点ー。最近はそう実感するようになった。今は、Amazonで欲しい本はワンクリックで手に入る。それでも地域の小さな図書館には、大きな価値がある。
それは本との偶然の出会い。子どもの絵本を借りに図書館に入ると、ふと目に留まる本がある。それは、自分だけでは探し求めない本。それでも心が惹かれる本。
先日、本棚に並んだ「初めてのふろしきレッスン」という本に出会った。迷わず借りた。別にこれまで風呂敷に興味があった訳じゃない。でも、現代の僕らに必要なのは、「生活のダウングレード」だと悟ってから、風呂敷にはピンとくるものがあった。
ずっと使われてきた風呂敷には、日本人の知恵が詰まっているはず・・・。
自宅に帰って、実家に押し入れ深くに眠った風呂敷を引っ張り出した。鮮やかな色彩の風呂敷が、何枚も出てきた。その中の一枚には「小林昭治」の名前が。93歳で逝った祖父が使っていたものだった。
どれどれ、と「ふろしきレッスン」を開いて、風呂敷の使用方法を試してみる。
そして、早速使ってみて、感動した。この感動は、言葉にした途端に半減するけど、敢えて書くなら、
(1)デザインが美しい。優しい。ユニーク。
(2)一枚の布にすぎない故の、変幻自在さ。あらゆるモノとシーンを包み込む。
(3)性別も、大人も子ども問わず、ユニバーサルに使える。
(4)想像以上にたくさん入る。
(5)とにかく軽い。体にもフィットする。身体への負担が小さく感じる。
実用的な利点に感動するとともに、僕は風呂敷に息付く精神性を感じとった。
一枚の布を、シーンに合わせて使いこなそうとする、その柔軟さ。
「包む」に込める感謝や大切にしようとする思い。
一枚の布が世代を超えて長く使われる歴史性。
6万円も出して真新しい高機能なランドセルを購入するよりも、僕は昔から使われてきた一枚の風呂敷を使うことの方が、よほど魅力的だと思う。ランドセルはランドセルにしかならない。一方で風呂敷は時空を越える。
やはり、古くから使われてきた風呂敷には、人の人生を優しく包むような知恵が詰まっている。それは何かを分割し閉鎖させることのない、どこか開かれた「包み」の文化だと感じられた。
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