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This is startup ~知財≒人事~

はじめに

2021年から約1年間、人事責任者を経験した。

2021年4月から2022年4月までの約1年間、人事責任者と知財責任者を兼務していた。
特に、2022年に入ってからの4ヶ月間は、人事制度の本格運用が始まり、課題が浮き彫りになり、兼務の難しさに直面したり。
最初の8ヶ月よりも濃密な時間だった。
「知財のリソース投下量を増やす」と宣言して始まった新年の誓いは早々に吹き飛んで、結局は、半分以上の時間を「人事」に投下していた気がする。
「兼務はもう辞めよう」と何度も思ったけど、最後は「もっとやってやる」と思うようになっていた。

当ブログ「2022年の振り返り(ダイジェスト)」

短い期間ではあったが、人事責任者のポジションから見た会社は知財責任者から見たそれとは全く違う景色だった。
半分冗談・半分本気で「知財より人材」なんて言うようになった。

安高さんのYoutubeチャンネルでスタートアップの採用の話になったときのこと。
「全く採用がまるで進まなかった。特許性のない発明を出願していて、すぐ拒絶されているような気持ちだった。」という話をした。
参考:当ブログ「雑感「スタートアップの中の知財の人でとことん議論しよう」(安高史朗の知財解説チャンネル)」

福岡でスタートアップ向けセミナーに登壇したときには、知財実務を、スタートアップにとって知財より身近であろう採用に例えて説明した。
参考:当ブログ「雑感「アーリースタートアップのための知財活動」(日本弁理士会 知財経営センター in福岡)」

人事責任者を務めた経験を持った知財家というのも、自分の知る限り他にいない。
知財と人事の比較なんて他に誰もやらないだろうし、何か発見があるかもしれない。

前置きが長くなったが、この記事を書いた理由はこれだ。

知財実務と人事実務の類似点(総論)

人事責任者をやっているときに感じた「最も知財実務と似ている点」は、フェーズ毎に実務がカットできる点だ。

例えば、人事実務は、大きく分けて社外人事(例えば、採用)と社内人事(例えば、人事評価)に分けられ、必ず、社外人事→社内人事のプロセスが走る。
これは、知財実務が権利化と権利活用に分けられ、権利化→権利活用のプロセスが走ることにそっくりだ。

つまり、取り扱う対象物(人事実務であれば「人」、知財実務であれば「知的財産」)に対して、対象物が置かれたフェーズ(時系列上のステータス)毎に取り扱い方も専門性も異なる。

そのためか、人事担当者と知財担当者のキャリアパスに対する考えも似ているように思う。
人事担当者の採用活動をしていたときに感じたことだが、「採用を経験したので、今度は社内人事も経験したい」という人材が少なくない。
これは、権利化を経験した後に渉外(活用・戦略系)を経験したいと思う知財家が一定数存在する点と似ている。

逆に言えば、「人事を採用する」だけでは採用要件としては不十分で、「社外人事」を強化したいのか、「社内人事」を強化したいのかのポリシーを持っていないと、会社の課題とケイパビリティがずれることになる。

知財実務と人事実務の類似点(各論)

以下、人事実務と知財実務の類似点をフェーズ毎に並べてみる。

知財実務「発明発掘」≒人事実務「採用母集団の形成」

  • 「採用母集団」とは、例えば、採用媒体に登録している人材の中から、採用要件(自社の出願要件に相当)に該当する人材群のこと。

  • 知財実務に例えると、発明者のアイデアリストのようなものだ。

知財実務「弁理士」≒人事実務「人材紹介エージェント」

  • 知財実務にも人事実務にも「エージェント」(代理人)というマーケットが存在する。

  • 企業は、代理人を介さずに、対象物にコンタクトすることはできるが、代理人をうまく活用することで、成果を出すまでのスピードを上げることが可能だ。

  • 代理人の活用において、対代理人コミュニケーションが全てといっても過言ではない。

知財実務「出願打合せ」≒人事実務「エージェントへの採用要件の説明」

  • エージェントに自社の採用要件を伝えることで、獲得できる人材が自社にフィットする確率を上げることができるし、自社にフィットする可能性のある人材の獲得確率も上げることができる(これは、良い発明を出願できることに相当する)。

知財実務「中間処理」≒人事実務「選考プロセス」

  • 選考プロセスには、書類選考と面談選考がある(これは、知財実務において、書面主義の下で審査官面談が行われる点と共通している)。

  • 人事責任者をやっていてはじめて知ったのだが、「選考プロセス」は、企業が候補者を選ぶ要素よりも、候補者が企業を選ぶ要素の方が強い(つまり、特許査定を得るべく、自社出願の特許性を必死に主張する中間処理の感覚だ)。

知財実務「特許査定~登録料納付~登録」≒人事実務「最終面接通過~内定~入社の内諾」

  • 人事実務が知財実務と大きく異る点が1つある。
    それは、「内定を出したからといって、入社に至るとは限らない」点だ(知財実務では、登録料を納付すれば必ず登録される)。

  • 対象物が「人」である(対象物に意思が介在する)からだろう。

知財実務「パテントマップ」≒人事実務「組織図」

  • 組織図(部門と人員の数)を描いてみると、それは大凡「登録された特許権をプロダクト毎にプロットしていく」作業と似て非なるものだと気づく。

知財実務「権利評価」≒人事実務「人事評価」

  • 社内人事には、3本柱(評価・等級・報酬)というものがある。この3本柱は、ほぼそのまま知財にも当てはまる。

  • 人事評価は一定期間毎に行われ、その結果は等級や報酬(会社から見ると固定費)に繋がる。

  • これは、1件の権利について、定期的に評価・ランク付け・必要経費の支出を行うための、権利の棚卸しに相当する。

知財実務「放棄」≒人事実務「離職率コントロール」

  • これも人事責任者をやって初めて知った概念に「離職率コントロール」がある。

  • それまでは、「離職」はネガティブなものとして捉えていたが、マクロで見れば一定の離職率をキープしないと、組織の新陳代謝が進まない(組織の成長スピードの早いスタートアップでは、新陳代謝のニーズは大企業の比ではない)。

  • これは、出願当初は有望だと思われた発明が、技術の進歩に伴い陳腐化することと同義だ。

  • 人は感情の生き物であるし、生活環境だって会社とは独立して変わるし、何よりスタートアップは会社の状況(ステージ)が急激に変化する。ある人の活躍レベルはそれら環境因子に依存するの、どんなに優秀な人でも、外部環境が変われば一定確率で無能化してしまう(スポーツに例えると、監督が変わったとかそういうレベルではなく、種目が変わっていくのがスタートアップだ)。

知財実務と人事実務の相違点

知財実務と人事実務の相違点は以下2点だ。

  • 対象物

  • 経営者・事業との距離感

対象物

上述のとおり、知財実務では知財(無体物)を扱うが、人事実務で扱うものは人(法的には自然人)だ。
この「自然人」というものがやっかいで、極論を言えば、言語化もコントロールも不能なもの(複雑系の関数というか、虚数というか)。
人事をマクロで(統計的に)捉えることはなんとかなるのだが、ミクロで捉えようとすると、知財実務と人事実務の相違点が一気に浮き彫りになる。

例えば、特許権の評価のGOALは、会社にとって良い特許権を維持することだ。このGOALは、知財担当者も発明者も共有している。

一方、人事評価のGOALは、なんだろう。
人事担当者にとってのGOALは、例えば、社員のエンゲージメントの向上だろう。
では、社員のGOALもエンゲージメントの向上だろうか?
違うと思う。
社員にとって、エンゲージメントの向上は結果(状態)であって、目指すべきものではない(例えば、エンゲージメントが上がらなければ、転職という別のGOALを持てる点において、人事担当者のGOALと社員のGOALは異なっている)。

このように、GOALが異なるという点が知財実務と人事実務の大きな相違点だろう。

言われてみれば当たり前の話だが、この相違点の大きさに気づくためには、人事をやらないとわからないと思う。

経営者・事業との距離

最初に断っておくが、ここで言う「距離」とは、「事業との距離が近い方が好ましい」という一義的なものではなく、各部門のホームポジションのこと。

一言で言うと、経営との距離感は、知財実務>人事実務だ。
逆に、事業との距離感は、知財実務<人事実務、となる。

人事領域の方からは批判を受けるかもしれないが、知財領域の人間からすると、やはり、「知財実務の方が事業に近く、人事の方が経営に近い」と言える。

知財実務において、知財戦略の目的はひとえに競争優位性の確保や事業継続性の確保(つまり、事業を成長させること)にある。

では、人事実務ではどうか?
もちろん、良い人材の採用や社員のエンゲージメントの向上は、事業の成長力に効いてくる。
そこまでは誰でも分かるのだが、人事担当者以外の社員が常にそのことを念頭に行動しないだろう。
人事以外の社員からすれば、エンゲージメントは、なにかの結果として発現する状態であって、コントロールすべきものではないからだ(もし、社員がエンゲージメントをコントロールしているのだとすれば、「離職」という概念がなくなり、会社が潰れるまで全員残り続ける異常な組織が出来上がってしまう。これは、かえって危うい)。

まとめ

上記のとおり、知財実務と人事実務にはたくさんの類似点があるものの、根本的な相違点が横たわっている。

人事責任者を終えて知財責任者に戻ると、人事責任者を務める前とは組織の景色が違って見えた。
目線は常に事業を見ているのだが、背中(経営や組織)に目が付いたような感覚だ。

誰にも信じてもらえないが、人見知りの性格なので、他人にはあまり興味がない。
そういう人間が、経営や組織を向いた第三の目を装備すると、見えなくて良いものまで視界に入るので、結構疲れたりもする。

でも、チームで仕事をするって、きっとそういうことだったんだろうな。
(ほぼ個人事業主で15年近く戦い続けてきたせいか、仲間と仕事をする感覚を齢45にして覚えることになった)。

人事責任者はとても大変で辛い仕事ではあったが、受任したことに1ミリの後悔もないし、そういうチャンスを与えてくれた経営者にはとても感謝している。

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