【書評】しげのかいり:「批評家」になんかなりたくない(金井美恵子『夜になっても遊び続けろ』)

※このテキストは、二〇一九年一月に前衛批評集団「大失敗」によって発売された批評系同人誌『大失敗』創刊号のおまけとして、二〇一九年五月に発売された『小失敗』のNote版から抜粋されたものです。

 批評再生塾の放送を見ていると批評家になんかなりたくないという気持ちが湧いてくる。正確にいうとこのような人間たちが批評家になりたいと思っているのなら、ぼくは口が裂けても「批評家になりたい」とは言わないと決意を新たにするのだ。特に批評家になりたいと思っている男はこの世でもっともロクでもない連中で、彼らは「批評めいた」ことが批評だと思っているのだ。現代の批評にまとわりつく「郵便」や「生成」や「共同体」といった意匠を賢しらに使いこなすことが「批評」だと思い込んでいる。これほど罪深いものはない。彼らが何故そうなるかといえば人間関係優先で批評を考えているからだ。彼らは既存の批評をとりまく人間関係を批評だと思い込んでいるに過ぎない。その点でぼくはむしろ女性の方が立派に批評家めいていると思っている。第4期総代となった春木晶子氏にしてもそうだし、今回『G–W–G』に寄港している住本麻子氏にしてもそうだ。女が男に対して批評的に優位を誇るこのような事態を先駆していたのが金井美恵子氏である。これがもしも金井本人に読まれたとしたら、未だに男と女で文学と批評を読み解く反動的なあり方を、おそらくぼくは怒られるかもしれないが、しかしながらジェンダー的に「女性」と言われるであろう人々が相対的に鋭いことをやっているというのがぼくの同時代的な感想である。
 金井美恵子氏は既存の男性批評家に抜きがたくあるホモソーシャルを批判してきた一人だ。彼らはホモソーシャルを優先させてテキストを捻じ曲げ、ボス猿的な人物に気に入られようとしている。金井美恵子氏は一貫して男性批評家のボス猿根性を叱りつけてきたのだ。今回紹介する『夜になっても遊び続けろ』に収められている開高健等への批判はまさしくそれを明瞭に示してくれる。金井美恵子氏の批評家としての力はこのボス猿的批評家のホモソーシャルの外側に位置し続けている点である。一貫して女だろうが男だろうが、共同体を優先させて読み方を捻じ曲げるあり方を批判し続けている。この金井的外部に位置し続けるあり方は無原則的な「享楽」を肯定することで生成されるではないかと思う。一般的に資本主義の社会は享楽を無原則的に肯定しているように見えるが、実体はそうではない。資本主義は欲望を禁欲させることで労働を疎外するのだ。ワタミ的なネオリベが根性論や精神論を好むのもこのためである。「休むな」「情熱を持て」といった決まり文句的な説教が人々を労働に駆りたて生産を促進させる。金井美恵子氏は軽やかに「決まり文句」に対して否定を加える。『若者たちは無言のノンを言う』で示されている通り、彼女は若者たちのそういった決まり文句の急き立てに対して拒否を加える全共闘運動を肯定し、「夜になっても遊び続けろ」と若者たちの享楽を鼓舞するのだ。
 こういう話をすると大人と子供の対立を持ってきて成熟を拒否することだと批判する猿どもがわらわらと寄ってくると思うが、成熟が享楽の否認に自動的に結びついていると思い込んでいることこそホモソーシャル的な固定観念に過ぎない。人が成熟するためには自立しなければならない。大人の加護を前提にした成熟などあり得ないからだ。しかしそこで享楽を断念して資本主義へと参加することが自動的に結びついてしまう事態こそ批判しなければならない点であろう。金井美恵子氏の『夜になっても遊び続けろ』は若者の肯定でもあるし、それと同時に享楽を無原則的に肯定した成熟のあり方を擁護したテキストだとぼくは読んでいる。資本主義に要請された(ある意味で資本主義によって加護された状態)での成熟のあり方を拒否し、自らの享楽を無原則的に肯定するため、思想から文学、読むこと・書くことを実践する既存の成熟への批判的応答をした成熟のあり方を高笑いと共に肯定した批評家こそ金井美恵子氏なのだ。
 享楽を諦めないこと、享楽を肯定するために偏執的に問題を掘り下げ、自らのあり方を規定すること。これこそが批評家の立ち位置であって、まず前提として批評があってそこに参加することが批評なのではない。もっとも東浩紀氏は批評家を作るというよりも批評家を受け入られるプラットフォームを作ろうとした存在だから、その点での批判はない。金井美恵子的な批評家のあり方こそ批評的だというべきであって、自らの問題意識もなく、ただ知的なことをやりたいと思っている資本主義者たちはワタミにでも就職したらどうかと思う。そこでは資本主義的な禁欲に根ざす勤勉で知的な事柄が専ら行われているのだから。そうなりたくない・寝ていたいと思う人こそ『夜になっても遊び続けろ』を読むべきである。その点で言えばぼくは批評家になりたいと思っている。金井美恵子がラディカルに称揚した、寝ながら暮らせる状態こそぼくの成熟の理想像だ。

しげのかいり

『小失敗』Note版

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?