【書評】左藤青:一億総批評家社会(東浩紀『郵便的不安たちβ』)

【書評】左藤青:一億総批評家社会(東浩紀『郵便的不安たちβ』)

※このテキストは、二〇一九年一月に前衛批評集団「大失敗」によって発売された批評系同人誌『大失敗』創刊号のおまけとして、二〇一九年五月に発売された『小失敗』のNote版から抜粋されたものです。

 解説で宇野常寛がきっちり述べているように、本書は『郵便的不安たち』(二〇〇〇)、『郵便的不安たち♯』(二〇〇二)を経た三度目の書籍化(二〇一一)である。その過程で、「批評」に関わる文章は概ね削除され、そして宮台真司との対談などの新しい文章が追加されており、当時の東の「読者」を意識したものとなっている。東はこうした古い「批評」にまつわる問題意識や、『存在論的、郵便的』を「マニアック」とばっさり切り捨ててしまっている。ここに東の「歴史修正」が見て取れる。
 東によれば、「批評」とは、アカデミックであり、かつジャーナリスティックであることだ。「アカデミックな批評には社会的緊張がなく、逆にジャーナリスティックな批評には知的緊張がない。つまり前者にはメディアの意識がなく、後者にはメッセージの意識がない」。東によれば、九〇年代の「批評」は完全にその両者が分離し、なおかつその両者が共犯的にお互いを無視することによって成り立ってしまっていた(ここでは「アカデミック」の象徴に浅田彰が、「ジャーナリスティック」の象徴に福田和也が挙げられる)。本書の東は九〇年代の「批評」的状況を「棲み分ける批評」と評し批判する。この論文の頭で東は次のように言ってのける。

「批評」という言葉は形骸化している。つまり現在書かれている批評文は、かつて小林秀雄に象徴されていたような知的かつ社会的な機能を失っている。〔…〕ならば、その形骸化はなぜ生じたのか。私たちはそろそろ、そのように率直に問うべきだと思われる。(「棲み分ける批評」)

 無論、この論文で槍玉に挙げられる浅田と福田(そして柄谷行人)は、『批評空間』の座談会「いま批評の場所はどこにあるのか」において東浩紀を徹底して批判し、あるいは無視した批評家たちであり、これを東の「私怨」やルサンチマンと見ることもできよう。ただし、この「批評」論「棲み分ける批評」並びに哲学書『存在論的、郵便的』、そして初期の情報環境論、オタク論といった「複数の文体」を使い分ける東によって、明らかに時代(エポック)は画されてしまったし、これを無視することもできない。つまり東は「批評」の歴史を「修正」したのであって、この修正の前では、東に対してルサンチマンを読み込む作業こそルサンチマンにほかならなくなってしまう。
 この「歴史修正」は、ブログの記事で述べたように(「資本主義的、革命的(前編)—東浩紀の広告戦略について」)、東浩紀にとってかなり本質的な「作家性」である。この暴力性こそを見習わなければならないし、遡行してみれば、この暴力性は柄谷・蓮實・浅田といった面々にも、それより上の世代たちにも見いだすことができる。そもそも哲学や思想の歴史とは、歴史修正の連続である。「戦略とスタイル」によって現状を包囲し、撹乱し、「勝利して支配する」、いや、「敗けたとしても支配する」ことが重要なのである。
 私たちはこうした「歴史修正」に抗して、「真の歴史」や「真の事実」あるいは「学問的にまっとうな理論」を主張したり、あるいは、見えなくなってしまった敗北者たちを救い出す「メシア」を希求しはしない。私たちは所与の歴史を「脱構築」しながら、この修正の暴力を奪取し、法を作る(faire la loi 法を作る=場を支配する)だけでいいのだ(ただし、おそらくそれでもなお修正しきれない余剰としての痕跡、「幽霊」が残る。これは原理的な問題である。デリダ『法の力』参照)。ただしなるべくスマートな仕方でそうすること。
 このように、本書はとにかく何もかもを「修正」する本である。たとえば東はここで「ポストモダン」という(すでに九〇年代には古くなっていた)語を再度復権させている(「ポストモダン再考」)。そしてこの時代分析を根拠に「横向きの超越」、すなわち、ある共同体を根拠づける絶対にして「一」の根拠(「絶対知」)ではなく、メディアを利用してメッセージをばら撒き(散種)、多数に分裂した「タコツボ」同士を接合させ、無理やりコミュニケーションさせるものとしての「批評」を掲げるのだ(「郵便的不安たち」)。
 ここに東浩紀の功罪がある。東はここで、「批評」のメインステージを批評家(あるいは編集者)から読者(への営業)に変えたのだ。東の業績はこれに尽きるといえばそうだし、実際これは東が範とした『批評空間』に対する批判としては無視できない。つまり、たとえどれだけ「正しい」ことを言っていたとしても、それが読まれることがなければ基本的に影響力を持ちはしないということである。このことはテクストの性質そのものにも関わっている。
 東の「批評」は、資本主義−グローバリズムという対を超克不可能なものとした上で、それでもなお残ってしまう各々の「趣味の共同体」の閉鎖性を横断するという方向へ向かっていると言える(しかしもちろんこの動きは、事実上も権利上も資本主義と親和性が高いものだ)。このことは「批評」というジャンルの閉鎖性そのものへも向けられている批判である。だからずっと後で、『ゲンロン4』の東は、「批評という病=ゲームを鑑賞し、その成否を判断する『観客』の共同体」の必要性を説くのだ。「批評」を判断するのは、批評家(「ぼく」)でも、そのメッセージを届けたい相手(「きみ」)でもなく、それに立ち会う無数の「第三者」たち、おそらくは様々な共同体のなかの「第三者」たちなのである。
 しかし、仮に「観客」に「批評」が判断されるのだとしても、それならば観客自身が批評の目を持つべきである(つまりこれを読んでいる「あなた」のことを言っているのだ)。「批評」が少なからず「知」の営為であるのならば、Twitterで「読了」とか言うばかりではない、少しはまともに本を読める読者を作るよう努力すべきである。そうでなければ、いつまでたっても「批評」は「アカデミズムの縮小再生産」か「人気のコンテンツの下請け業者」のどっちかである。
 おそらく東浩紀はこの点において失敗している。東が「メンヘラ的」なほどにプロジェクトを取っ替え引っ替えし、最後までやりきることができないのは、そもそも東浩紀の企図をまともに汲みとれる人間が少ない、というか、正確には、東浩紀の企図の射程を測り、場合によってはそれを拡張するような読者が存在しないということなのではないか(東浩紀の周辺の人物と話すと、やたら東に対する愚痴が多い。実際人格的にそれほど立派な人ではないのだろうが、批評家の人格に一体何を期待しているのかとも思う)。つまり東は周囲の人物にせよ読者にせよ、教育すること、育成すること、あるいは言い換えるなら、啓蒙することが全くできないのだ。
 このことは「歴史修正」の問題と深く関わっている。つまり、東浩紀が何をしているのかを知るためには、東によって修正された「歴史」の外部への目がなければならない、少なくとも、それを「修正」としていったん受け止めなければならないからである(それがうまくいっていないことは『現代日本の批評』を見れば概ねわかる)。そしてこのことは、実は東浩紀の批判者たちも同様で、例えばツイッター上で東への批判を繰り返している山川賢一は、この「歴史」の外部を全く知らない、あるいはその認識を示すことができない。だから彼は東によって意味を付与された「ポストモダン」という言葉を無批判に振り回すことで、むしろ東の理論を強固にしてしまっている。結果として彼は東に対する本質的な批判もできず、自説を展開することもできず(こうした「歴史修正」を「悪意」と言い換えて人格攻撃するくらいの能力はあるようだが)、「なんとなく科学哲学」で東浩紀と幻想の「ポモ」一派を批判することでアイデンティティを保っているだけになっている。これは東の元から離反し、「父殺し」をしたと気取っている複数の批評家たちも同様である。
 さて、結論として、もはや観客と批評家という二項対立が古いものである、と言わなければならないかもしれない。当然だが僕は批評家ではなく——しげのかいりが言う通り、絶対に、どんなことがあっても「批評家になんかなりたくない」——たまたま文章を書いている読者であり、だからこそ批評を書いているだけにすぎない。「批評」が「成否を判断する『観客』の共同体」によって支えられているのなら、観客たちは「批評」を批評することになるわけだし(だから「批評」に外部など存在しない)、その意味で、観光客を当事者に、つまり批評家にするのが「批評」なのである。東の定式を受け入れた上で、その「観客」=「読者」に直接的かつ積極的に働きかけ、場合によっては批評を書かせてしまうことはできるだろうか。「批評」は、つねに大学的「知」の外部(例えば「大衆」、例えば「読者」)を持ち出してきた。この図式を変えることなく(つまり「ポップ」であって)、しかし同時にその読者を批判し、異化し、啓蒙することはできるだろうか。
 ここに「前衛批評」の掛け金があると僕は思う——が、これは言ってしまえば「後進が育たない」問題であり、この問題そのものはすでに柄谷行人において見いだすことができる。彼らはこの意味で「不能の父」だし、人格的に問題がある人間だし、パワハラ上司なのである。

左藤青

『小失敗』 Note版

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