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学校創っちゃった物語⑪-錚々たる人々が創り上げた自助協力の骨太な精神にあふれた亜細亜大学

 1941年4月。大東亜戦争の中、元軍人で貴族院議員の菊池武夫は強い目つきで、傍らの藤原繁を見た。国士館専門学校の学生監であった藤原は、理想としていた大東亜共栄圏のために、有意な人材が必要と考える菊池に共鳴。陰日向なく協力をしてきて、やっとこの日を迎えたのだ。財団法人興亜協会付属の興亜専門学校の設立である。

この大東亜のために作られた学校だが、周知のように日本は敗戦を迎え、日本経済専門学校と改称。その後に、日本経済短期大学となったのち、新制大学として発足した。亜細亜大学である。初代学長兼理事長には、終戦時の文部大臣だった太田耕造が就任。その後に、理事長の職についたのは東急を作った五島慶太。さらに、その職は五島昇、続いて、小説不毛地帯の主人公のモデルにもなった瀬島龍三にも引き継がれた。そう、錚々たる顔ぶれが創設時に加わっているのである。

そんな亜細亜大学だが、建学の精神は自助協力だ。一人一人が自分を確立し自立して行動する。そういった自立した人々が協力してこそ、真の人間関係であると謳っている。現在も、この建学の精神は隅々まで浸透しているようだ。最近の大学のサイトを見ても、学校の口コミで。自分で勉強しようと思えば最高の大学。だが、流されているだけだと活用できない、などとはっきりと書かれている。

大東亜共栄圏などと書くと、甚だ強面のイメージがつきそうだが。要は、自立した人間として信念を持った人材の育成ということが肝なのではないかと思った。そういう意味で、きわめて骨太な精神を持つ、今時珍しい大学だと思う。ドトールコーヒーの社長もここの出身だ。なにか、独自の視点を貫き、骨太な学校というイメージが強い。今後も、骨太な有意な人材を世に送り出してほしいと改めて思う。

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